「海を忘れた海洋民族(4)」(2024年02月16日)

マラカ海峡〜ナトゥナ海〜カリマタ海峡という広大な海域をスリウィジャヤやマラカが支
配するためには、そこを通過する船が安全に航行できることが重要な意味を持っていた。
その海域で海賊行為を働き、あるいは秩序の混乱を起こす者を容赦してはならない。権力
側に付いたスクラウッは海上警察の役割を担ったのである。

1330年ごろの元の時代に南洋を旅した汪大淵はマラカ海峡やシンガポールを訪れた。
かれはそのときに自分の乗った船が海賊船によって港に連行された体験を自著の中に書き
残した。海賊船という解釈は正鵠を射ていないように思われるが、海の上で強制力を振る
う悪漢をかれはみんな海賊と感じたのかもしれない。

それは権力が後ろに付いているかいないかという紙一重の差であるに違いない。国家権力
が後ろに付いた軍事集団は軍隊と呼ばれ、それがなければ暴徒・テロリスト集団といった
異なる名称が与えられるのが世の常識になっているようにわたしには思える。

その常識は長い歴史を持っていたようで、古文書に書かれた海賊事件はたいていが海上パ
トロールのあまり行われないエリアで起こっていて、海上覇権をだれが握っているのかは
っきりしないエリアが海賊海域であったことは確実だと考古学者は述べている。


インドネシア語には海上での強盗強奪行為を指す独立した言葉としてrompakがある。海と
いう言葉を添えることなく海上での行為しか表さないのがこの言葉なのだ。それを行なう
人間はperompakとなる。よく似たrampokは海上に限定されない一般名詞であり、語形がよ
く似ていることからわれわれは、rompakが特に海上での行為を意識して作られた可能性を
そこに感じるのである。

かつては海の民だった日本人の言葉にそのような現象が見らないないのは不思議な感じが
しないでもない。英語にだって、海上だけに限定してそれを示すpirateという言葉がある
ではないか。

インドネシア語にはもうひとつ海賊を意味するlanunという言葉がある。この言葉は南フ
ィリピンに住む海洋種族のIlanunあるいはIranunに由来しており、元来のラヌン人は18
〜19世紀にかけて東南アジアの海域における海賊行為の主役として名が知られ、諸国民
から大いに恐れられていた。南シナ海からスル海にかけてを主舞台にし、陸上の村や町を
襲って略奪し、人間を捕らえて奴隷にした。サラワク人がたくさん奴隷にされたという話
もある。スル海は今でもラヌンの巣窟なのだ。

ジャカルタに住んでいると海賊はプロンバッと表現されるのが普通なためにラヌンという
言葉を聞く機会がないのだが、リアウやバンカブリトゥンを舞台にした話を聞いていると
ラヌンという言葉がしばしば登場する。多分そういう地域性があるのだろう。


ヤコブ・コルネリス ファン ルールは、ヨーロッパ語の海賊とアジア語の海賊の間でコン
テキストの違いがあることを指摘した。含まれている内容が違っており、そして解釈が異
なっていると言うのだ。そのためにヌサンタラの海で行われているperompakanを単純にヨ
ーロッパ語のpirateやpiraterijなどに置き換えて理解すると解釈に不一致が起こりかね
ないとかれは警告している。

汪大淵が書いたような海上での単なる強制行為が海賊行為に区分されたなら、スリウィジ
ャヤやマラカのお膝元で海賊が花盛りになるのは目に見えている。強奪されたのが不本意
な通行料金だけだったのなら、海賊に何を奪われたと言うのだろうか?


スクラウッはリアウでOrang Sakai、ジャンビでOrang Kubu、ブリトゥンでOrang Sawang
あるいはOrang SekakやOrang Sekah、マラヤ半島でOrang Semangなどと呼ばれて区別され
ているが、いずれもムラユ系の種族であり、海で生きるライフスタイルはよく似ている。

かれらがナマコを採取して陸地で売れば大金が手に入る。大金を手に入れるとテレビやV
CD、発電機などを買って金を使い果たす。しばらくそれを楽しんでいるうちに生活費が
なくなってしまい、買った家電品を中古で安く売り払う。その金も底をつくとまた日々の
貧困生活に戻り、金を稼ぎに出るというような生き方がかれら先祖伝来のものだったそう
だ。かれらは陸地での生活を一顧だにしない。

1980年代にオルバ政府がかれら海人に陸上生活を営むよう指導し、陸上に家を建てて
村を用意してやった。もちろん海沿いの村だから、いつでも海に出ることができる。その
とき海人たちの中にこう述べた者がいる。「陸地は死んだ人間が葬られる場所だ。」

海のジプシーたちにとって、陸上での定住生活を強制されるのはそんな意味を持っていた
のかもしれない。大陸人間が動かしている行政と海洋文化人間の心理的なギャップがそこ
から見えてくるかのようだ。[ 続く ]