「ヌサンタラのコーヒー(82)」(2024年02月22日)

そのコピルアッを商業用に生産するとなると、檻ルアッ方式をだれしも考えるようになる。
世間で害獣とされてきたムサンルアッを飼育する人間が増えた。しかもみんながその排泄
物を狙っているのだ。リワで商業用コピルアッの生産がブームになると、ムサンルアッを
飼育する需要がどっと増加し、その供給のために野生ルアックの捕獲が増えて野生ルアッ
が減少し、農園で自然に得られていたルアッの排泄物も大幅に減少した。

ムサンルアッは最初なかなか人間に馴れず、ちゃちな檻はたいてい破られてもぬけの殻に
なった。おまけにこの野獣を複数同じ檻に入れると頻繁に喧嘩し、怪我をするとそれが原
因で死ぬ傾向があることも分かったから、そのために檻は個室にするようになった。家畜
の飼育ならまだしも、野獣の飼育は費用が大きくなるらしい。

リワのワイムガクにあるコピルアッ生産者組合の長は、ルアッ飼育のために一日一頭当た
り5.5万ルピアの経費がかかると語った話が2010年のコンパス紙に掲載されている。
最上質コーヒーの実5キロ、バナナ一房、栄養補給剤とビタミンがムサンルアッの1日の
食料だ。人間が上質として選んだ5キロのコーヒーの実もムサンルアッは決して全部食べ
るわけでなく、選択的に食べている。ムサンルアッの腹に入らなかったコーヒーの実はゴ
ミになるだけなのだ。

その組合長の家では、ルアッは1匹ずつ1x1.5メートルの檻に飼われ、夜にコーヒー
の実を食べさせられる。昼にはバナナとカタツムリや魚などが与えられている。ときどき
ミルクも飲ませている。檻も清潔に保たなければいけない。自然の中に住んでいるルアッ
は汚い場所で排泄しないのだそうだ。そうであれば、檻をきれいにしておくことでルアッ
も喜んで排泄してくれるだろう。

コピルアッ生産者組合のメンバーは、小規模資本の家は4頭くらい、資本をかけている家
だと15〜25頭くらいのムサンルアッを飼育している。


リワでルアッコーヒーの輸出事業を行なっている輸出業者は、ルアッの飼育にコストがか
かるからルアッコーヒーは高くなるのだと語っている。ところが、その高いコーヒーがよ
く売れる。その女性輸出業者は日本・韓国・香港・カナダにリワ産檻ルアッコーヒーを定
期的に輸出している。

ルアッの飼育にコストがかかるからルアッコーヒーが高いものになると言うのなら、スム
ンドのコーヒー農民が自分で拾って自分でコーヒーにして飲んでいるルアッコーヒーにそ
の農民がかけたコストはいくらと計算すればよいのだろうか?檻ルアッコーヒーがまだ地
上に存在しない時代でさえ、元祖のルアッコーヒー市場価格は高いものになっていた。そ
の市場価格がコスト基準で算出されたものとは思えない。

物自体が持つ価値を自分が数値化できないとき、あるいは少なくとも質量化できない場合、
その測定が市場価格を使って行われるのは仕方ないかもしれない。だが自分にとってのそ
の物の価値を最初からすべて市場価格に委ねてしまっては、その人間が持っている自分と
いうものがいったいどこにあるのかわからなくなりはしないだろうか?

市場に置かれて売買されているその物の価値と、自分にとってのその物自体の価値が同一
にならねばならない理由などどこにもないようにわたしには思われるのである。とりわけ
コーヒー農民にとってのコピルアッの価値に思いを致すにつけ、先進諸国で飲まれている
ルアッコーヒーに与えられた市場商品としての価値との乖離の激しさが、人間の変貌の度
合いを示すバロメータのようにわたしには思えて来る。[ 続く ]