「ヌサンタラのコーヒー(87)」(2024年02月29日)

キンタマニ郡ブランティ村もコーヒーの村だ。2000年代に入ってからオーガニックコ
ーヒー生産の振興が進められ、2006年には全生産品がオーガニックコーヒーになった。
時の農業大臣がブランティ村を訪れて、誇りに思うと村民を賞賛した話が語られている。
大臣はキンタマニでアラビカコーヒーを生産している10のスバッに対し、事業資金とし
てその年の国家予算の一部を供与して支援することを約束した。

かつてはブランティ村でも、実の成熟度を区別せずに収穫し、地べたに置いて乾燥させ、
雨が降れば濡れるに任せ、長い期間をかけたにも関わらず含水率の高い豆を販売すること
が行われていた。高い価格で売れるわけがない。その当時、この村のコーヒー生産農家は
ボンドウォソのPTPN XIIが設けたコーヒー製造工場にコーヒー豆を納入していた。

1990年代に入ってコーヒー価格の暴落が起こり、ブランティ村では「赤い実を摘もう」
運動が起こった。品質改善を行なうことで収入の下落を緩めようとしたのだろうか?
1993年には164トンの赤い実から27トンのアラビカ種完熟コーヒー豆が得られた。
1994年には309トンの赤い実から51トンの完熟豆が生産された。
1996になってPTPN XII社の経営内紛が発生し、ブランティ村のコーヒー農民はPTPN 
XIIへの納入をやめ、別のコーヒー工場への売り込みも行わずに地元市場での販売に終止
した。
1997年、スラバヤのトリアグンムリア社とランプンのインドカフコ社がブランティ村
で生産されているコーヒーの買い取り注文を出して来た。取引価格が合意され、ブランテ
ィ村は民間のコーヒー生産会社への納入をそのとき開始したのである。トリアグンムリア
社は毎年100トン、インドカフコ社は毎年360トンを買い入れている。

ブランティ村で生産されているアラビカ種キンタマニコーヒーはオレンジのアロマを持っ
ている。コーヒー木はキンタマニオレンジの木と一緒に農園に植えられているので、その
せいではないかという声もある。しかしはっきりした原因はまだつかめていないそうだ。


キンタマニのコーヒー収穫期のピークは5〜7月。その時期になると、ジャワ島のナンバ
ープレートを付けたトラックがキンタマニの高原地帯を走り回る。キンタマニコーヒーが
自分の地名ブランドでコーヒー市場に出て行くのとまた別に、他地方産のコーヒーに混ぜ
られて輸出されるものもある。なんと、アチェガヨコーヒーのラベルが貼られて船に乗る
ものもあるのだ。

バリと東ジャワでコーヒー流通業を営んでいるアグス・トゥリオノさんはバリの8地区の
コーヒー農民十数人からアラビカ種コーヒー豆を買い集めている。農民が天日干ししたコ
ーヒーの実はすぐに西ジャワのバンドンに運ばれて処理されなければならない。そのあと
アチェに送られてガヨコーヒーのラベルが貼られる。

アグスは毎日ジュンブルの運送会社を使ってバリから西ジャワのバンドンに14トンのコ
ーヒーを送る。アグスはキンタマニのコーヒー農民に正しい加工処理方法を指導してきた。
昔ロブスタを作っていたころ、コーヒーの取扱いは適当でいいかげんなものだった。アラ
ビカを植えるように勧め、その豆の正しい扱い方を教えた。農民たちはアグスの指導に従
うことで収入が増加し、それがコーヒー農民たちの目を開かせた。

アグスは言う。「アラビカの実は摘んだらすぐに天日干ししなきゃいけない。一晩寝て翌
日干すようなことではダメなんだ。アラビカはロブスタより含水率が高くて酸味が強いか
ら、昔ロブスタでやってたような伝統的な扱いをアラビカキンタマニで踏襲すると、豆が
ひび割れするんだ。」

3時間干してからまだ内皮に包まれた状態の豆をアグスはすぐにバンドンに向けて発送す
る。バンドンで加工処理されたものがアチェでガヨコーヒーになるのである。アラビカキ
ンタマニがアラビカガヨと拮抗する品質と味覚であることは外国市場で既に認められてい
て、キンタマニがガヨのコーヒービジネスをバックアップしているのだ。アグスはジュン
ブルとボンドウォソからもたくさんアチェにコーヒーが送られていると語っている。
[ 続く ]