「ヌサンタラのコーヒー(89)」(2024年03月04日)

バリ島のローカルコーヒーメーカーのひとつに蝶と地球を描いたシンボルマークを製品に
付けているコーヒー工場がある。バリ島内のスーパーやハイパーマーケットのコーヒー売
場で必ずお目にかかることができるだろう。昔はコーヒー売場で上級品の扱いを受けてい
た商品だが、昨今は全国規模のコーヒーメーカーの商品にその場所を奪われて他のローカ
ル産品グループの中に混じるようになってしまった。

Kupu Bola DuniaあるいはKupu-kupu Bola Duniaと呼ばれているパック入り粉末コーヒー
を製造しているこの工場は1935年に開業した。創業者のビエン・エッホーは元々バリ
島産コーヒーのシンガポール向け輸出業者のひとりだった。国内向けの事業に手を広げよ
うとして、最終製品を作る工場を興したのだ。

原料のコーヒー豆はプラガ、キンタマニ、バトゥリティ、シガラジャなどのコーヒー農民
が作ったものだ。作られた製品は今でも米国・日本・シンガポール・香港・マレーシアに
向けて輸出されている。輸出売上はたいした金額にならないものの、毎年途絶えることな
く輸出が続けられている。


この工場のアウトレットはデンパサル市内ガジャマダ通りにToko Bhineka Jayaという看
板を出している店だ。市内一等地の瀟洒なガジャマダ通りにあるこの店は、インドネシア
のたいていのコーヒー販売店がそうであるようにカフェを兼営していて、飲んでみて気に
入れば商品を買うということが行える。

この店を最初開いたのはビエン・エッホーだった。店名もその名称だった。扱い商品はコ
ーヒーだけでなく、スパイス類や家庭用品も置いている雑貨店だった。創業者エッホーの
息子ジュウィト・チャッヤディの代になってかれが家業をコーヒーに絞り込み、工場をモ
ダン化して国際スタンダードのコーヒー生産者になった。ガジャマダ通りの店もトコビネ
カジャヤというコーヒー専門店にし、同時にカフェにした。

ジュウィトが店主の時代、1991年3月4日にマレーシアのマハティ―ル首相が突然店
にやってきたことがある。そのとき、バリで国際首脳会談が開催されていた。いったいだ
れが推薦したのか、マハティール首相はバリのコーヒーを飲むためにデンパサル市内のそ
の店までやってきたのである。首相はバリコーヒーを飲んでから、「バリコーヒーは美味
い」というコメントを残して店を立ち去った。その間およそ25分、店の前のガジャマダ
通りは要人警護のために閉鎖されたそうだ。


ジュウィトはコーヒー農民に完熟した実だけを摘むように口を酸っぱくして注意していた。
オランダ時代にはオランダ人がプリブミ農民に5月が終わるまでコーヒーの実を摘むこと
を厳しく禁じていたことを引き合いに出し、多くの実が成熟する6月中旬になってから摘
むほうがコーヒー豆の質が良くなり、高い価格で売れるので農民の収入も増加することを
常に説いていた。オランダ人がそうしていたのは経済性の面から見て合理的な理屈があっ
たからだ。

ジュウィトの6人の子供のうちの末子、ウィラワン・チャッヤディ氏が現在三代目の地球
蝶印コーヒーの事業主になっている。ウィラワンによれば、父親は自らのコーヒー農園を
持とうとせず、コーヒー農民の作ったコーヒーを販売する受け皿に徹することを方針にし
ていたそうだ。だから、自分の農園を持っていない、とウィラワンは語っている。[ 続く ]