「海を忘れた海洋民族(16)」(2024年03月05日)

大洋と遠洋航海を奪われたのはジャワ人だけでない。スラウェシ島もヌサンタラきっての
船乗りを生み出す海洋文化の土地だった。ヨーロッパ人がアジアにやってくるまで、ブギ
ス人は船に乗ってどこへでも行った。シンガポールの街中にBugisという地名があること
はたいていのひとが知っている。かつてそこにブギス人の部落があったのだ。本国でブギ
ス人は南スラウェシにさまざまな小王国を作って割拠していた。

16世紀初期にマカッサル人の王国であるゴワが内陸部から海岸部のソンバオプに進出し
て力を強めた。農業立国だったゴワが海洋国家に変身したのである。域内派遣を手に入れ
る過程でブギス諸王国との融合や戦争が起こり、今では人種的にブギス=マカッサルとひ
とくくりにされて呼ばれる状態になっている。そして、そのソンバオプこそが現在のマカ
ッサルの前身なのだ。

マカッサルはスパイス交易の要港にのし上がり、イギリス・デンマーク・ポルトガル・ス
ペイン・オランダ・グジャラートなどが商館を開いた。その当時マカッサルはヌサンタラ
東部地方で最大の商港の名前をほしいままにしたのである。今現在ですら、インドネシア
東部地方で最大の都市がマカッサルなのだ。

言うまでもなく、この王国の船も商品を積んで遠洋航海を行なったし、商港で売るための
商品を仕入れに行くこともした。マカッサル船団がオーストラリア北部のカーペンタリア
湾沿岸部に赴いてナマコ漁を行ない、地元民のアボリジニと文化交換までしていたのもそ
の時期であり、この話は拙著「マカッサル船団はマレゲを目指す」で紹介した。興味のあ
る方は下をご参照ください。
http://omdoyok.web.fc2.com/Kawan/Kawan-NishiShourou/Kawan-57Tripan.pdf


その隆盛と繁栄がVOCの独占欲を誘った。第14代ゴワ国王スルタン アラウディン(
在位1593−1639)のときVOCとの間で通商上の衝突が起こり、ゴワ王国とオラ
ンダ人の間に対立関係が生じた。オランダ人は海上における航海の権利を独占しようとし、
スルタンは「海は公器だ」と主張して対立したのだ。そのときスルタンは、「神は土地を
人間に分け与えたもうた。しかし海はすべての人間のためのものだ。」と海についての基
本原理を主張したと言われている。

1653年に王位に就いた第16代国王スルタン ハサヌディンのとき、VOCが南スラ
ウェシの小王国を軍事力を背景にして支配下に収める動きを活発化させたことから、地元
政治体制の中で盟主の立場にあったゴワ王国も忍耐の緒を切らして軍事行動を開始した。
それが1666年に起こったマカッサル戦争だ。

しかしこの戦争でゴワ王国は劣勢に陥り、スルタン ハサヌディンはVOCのいくつかの
要求を呑んで戦争を終わらせた。1667年にBungayaで締結されたブガヤ協定でVOC
はゴワ王国の船の航海範囲を近海に限定させた。バリ・ジャワ島海岸・ジャンビ・パレン
バン・ジョホール・ボルネオ・ビマ・ソロル・ティモールから先への航海は禁止。スル海
域ではサバ〜ミンダナオ島を結ぶ線を越えてはならない。

それに加えて他の種々の条項があまりにもゴワ王国の立場を傷つけるものであったことに
スルタンは耐えられず、かれは再び戦争の号令を1669年に発した。VOCのスラウェ
シ島派遣軍は一時その勢いに押されたものの、バタヴィアからの増援を得てソンバオプ要
塞を陥落させたVOCはスルタン ハサヌディンにその軍事力を見せつけた。スルタンは
1670年に病死した。[ 続く ]