「ヌサンタラのコーヒー(91)」(2024年03月06日)

タンボラ火山の西北に位置するラブハンクナガ村の海岸で、タンボラコーヒーフェスティ
バルが開催されている。名前は仰々しいが実態はローカルの祭りの趣が強く、タンボラの
地元民の間で美味しいコーヒーを作る腕を競うコンテストがその中身のようだ。

コンテスト参加者20人は普段から自宅でコーヒーを作っている主婦がほとんどで、主催
者が用意したコーヒー豆を煎って粉にし、それでコーヒーを淹れる。審査員はビマ県庁観
光文化局長、郡庁官房などが務めており、コーヒー専門家のようなひとはひとりも加えら
れていない。審査基準は飲んでみて美味しいと思えばそれでよいのだそうで、美味しさの
順位を5等まで付ける。5位までに入賞したひとは携帯電話器・家電品・毛布などの景品
がもらえる。参加した20人中の10人に賞品がもらえるのだから、まあ一種のお祭り騒
ぎのようなものだろう。あれっ、計算が合わない?いや、一等二等などの各賞は該当者が
それぞれふたりになるのである。

コンテストはコンロで豆を煎る工程から始まる。速いひともいればのんびりやっているひ
ともいる。それを粉にし、金属製のコップに入れて湯を注ぐ。ビマ県オイブラ村から来た
ロスディアナさんが一等の栄誉を獲得した。オイブラ村はビマ県下有数のコーヒー産地で、
ロブスタとアラビカの両方を生産している。

ロスディアナは2Haのコーヒー畑を所有していて、年間5百から1千キロの収穫があり、
村内や近隣諸村からの注文に応じて粉末コーヒーを生産販売している。加工方法は伝統的
なやり方がまだ使われているそうだ。

ヨスタ・ビョルクルントの農園は1932年にリンストロム・ヤン・グナルLindstrom Jan 
Gunnarがドキュメンタリー映画を作り、スエーデン語のナレーションが吹き込まれた。そ
の映像の中に昔のオイブラ村の姿を見ることができる。

スエーデン人が設けた広大な農園は今、地元民が世話するコーヒー畑になっている。広い
面積を使っているひとはロブスタとアラビカの両方を植えているようだ。


スンバワ島の西側の島には標高1,730メートルのBatu Lanteh火山、別名Olet Sangenges山
があって、そこもスンバワを代表するコーヒーの産地になっている。火山の東山麓にスン
バワ県バトゥランテ郡があり、Tepal村が生産センターの地位を占めている。トゥパルで
はロブスタもアラビカも生産されているが、アラビカ種に人気がある。

全450世帯で構成されているトゥパル村は海抜847メートルの高地にあり、住民の大
半がコーヒーで生計を営んでいる。高地の村に朝が訪れると、住民は冷気の中をコーヒー
畑に向かうのが日課だ。

農民たちは昔ながらの有機農法でコーヒー栽培を行なっている。自然の中でできる実を摘
み、それを消費してきた。大量販売とは縁のない世界だったために、ひとびとは生産量を
増やそうとする欲望を持たなかった。だからコピバトゥランテは当然のようにオーガニッ
クコーヒーになった。

バトゥランテのコーヒー栽培は古くから行われてきた。そして住民はコーヒーを日常飲料
にしてきたのだが、しかしながら伝統的な豆の煎り方が国際標準から外れていた。豆を煎
るとき、豆が焦げて黒くなるまで煎るのを地元民は正式な作法と考えていたらしい。だか
ら外来者がバトゥランテでコーヒーを飲むと、コーヒー豆の炭で作られたコーヒーという
印象を抱くのが普通だったそうだ。その常識を地元女性のひとりが覆した。[ 続く ]