「船乗りもルバラン帰省をする」(2024年03月13日)

ライター: 文学者、シガラジャ在住、スナルヨノ・バスキ KS
ソース: 2008年12月24付けコンパス紙 "Bangsa Sungai"

わたしの先祖は船乗りだった。そんな出だしの子供の歌がある。われわれの先祖は本当に
船乗りだったのだろうか?われわれは本当に海洋民族bangsa bahariなのだろうか? 
bahariという語についてKBBIは次のように説明している。
形容詞 dahulu kala, kuna, tua sekali; indah, elok sekali
名詞 mengenai laut, bahri

われわれが本当に海洋民族であることの証拠を示そう。KBBIのページをいろいろとめ
くる必要はない。tiangとlayarの語彙を調べるだけで、われわれの先祖が船と航海にたい
そう深く関わっていたことがわかる。tiangの定義は「大小の船に立てられる長い柱」と
なっていて、kapal dua tiang, tiang agung, tiang topangの例が挙げられている。

layarの定義は「船が進むように風を受けるために張られる厚い布」であり、layarを使う
熟語がたくさん集められている。layar agung, layar apit, layar baksi, layar batang, 
layar bubutan, layar bulu ayam, layar cucur, layar dastur, layar depan, layar 
gap, layar guli, layar gusi, layar haluan, layar jib, layar lebar, layar padan, 
layar pengapul, layar pinggir, layar pucuk jala, layar sabang, layar temberang, 
layar terbang, layar utama, すべて船の帆に関係している言葉だ。

船の帆に関係する言葉がそれほどたくさんある事実を見るだけで、それぞれの機能に応じ
たさまざまな帆に名前を付けなければならなかった船乗り民族がわれわれであったことが
理解される。

われわれはまた、船・帆・海などに関係する隠喩を好んで使う。新婚のカップルに祝辞を
述べるときSelamat mengarungi samudra kehidupan.と言う。スタン・タッディル・アリ
シャッバナの小説Layar Terkembangはbahtera kehidupan ke samudra luasに人を運ぶ帆
を例に取ったものだ。


海上で船に乗るだけでなく、われわれは川でも船で移動する。マルタプラ・バリト・バタ
ンハリなどの河川を除いて、いまでは川で船に乗ることは減ってしまったものの、河川交
通に関連する語彙もいまだに使われている。中でもルバランの時期が来ると必須の話題に
なるarus mudikという言葉だ。今ではこの言葉は河川交通とまったく無縁の意味で使われ
ている。

mudikの語義は「udik(川の上流、内陸奥地)へ航行する」と説明されている。そこから
われわれは町vs田舎構造を学ぶことになる。mudikという表現は河口からウディッへ移動
することと解釈されるのだ。昔、町は河口(海岸部)にでき、田舎はウディッにあった。

ジャヤカルタ・スマラン・スラバヤ・ウジュンパンダン・シガラジャなどはすべて海岸部
にある。しかしマジャパヒッの王都は本当の海岸に位置していたのではなかったし、また
トゥバンも町でない単なる港だった。しかしその後、バンドン・ヨグヤカルタ・スラカル
タ・マランなどの海岸から離れた場所にある町が発展するようになった。

udikは本来、川の上流を意味しているのだから、orang udikと言われたところで気にする
必要はない。mudikという言葉は大きい町から小さい土地へ行く意味を含んでいる。じゃ
あ、わたしがルバランでシガラジャからマランに帰省するときにムディッと言ったら、意
味が違うことにならないだろうか?だってマランのほうがシガラジャよりずっと大きい町
なのだから。多分ムディッという言葉はジャカルタの住民が帰省する場合にだけ正しい意
味を表すのだろう。