「ヌサンタラのコーヒー(97)」(2024年03月18日)

スラウェシ島とパプア島にはさまれた多島海がマルクと呼ばれている地域だ。その広大な
海洋地域を南北にほぼ等分して北マルク州とマルク州の二州が占めている。北はハルマヘ
ラ島のソフィフィ、南はセラム島に抱かれたアンボン島のアンボンに州都が置かれている。
このマルクの多島海ですら、コーヒーが栽培されているのである。

北マルク州の2022年コーヒー総生産量は391トン、南側にあるマルク州の2017
年データによれば、州内11県のコーヒー栽培面積は1,241.5Haで栽培農家4,266戸、生産
量は396.6トンとなっていた。これでは州内での自家消費を支えるだけで精一杯ではある
まいか。

マルク多島海のひとびとが作り上げた伝統的なコーヒーの飲み方にkopi sibu-sibuという
作法がある。sibu-sibuというマルク語はインドネシア語のsepoi-sepoiに対応していて、
そよ風のような新鮮さと心地よさを表現している。

この「そよ風」コーヒーとマルク人が呼んでいるものは、伝統的プロセスで作られた粉末
ロブスタコーヒーにketapang(日本語でモモタマナ)の実のスライスとクローブの粉末を
上からかけたものであり、熱く濃いコーヒーをすすればクタパンとクローブが口の中で混
じり合い、きっと爽快な感触をもたらしてくれることだろう。ちなみにクタパンの実もク
ローブの粉も、腹の中に入っても何ら障害は起こらないからご心配無用。


マルク多島海の地理的中心線上にBuru島とSeram島という大きい島が東西に連なって並ん
でいる。この島々はマルク州に属しており、州都アンボンを包むセラム島は州内の行政経
済センターの外縁としての機能を果たしている。しかしブル島がそんな躍動的な活動環境
の中に加わっている印象はあまり感じられない。

ブル島の海岸線はほとんどすべてがサンゴ礁に囲まれていて、陸地は砂浜かマングローブ
林を従えた沼沢になっている。そんなブル島の東北部に一カ所だけ、まるでお隣のセラム
島やアンボン島からの船を迎え入れるために作られたようなKayeli湾があり、湾の南海岸
部から内陸に向かってこの島唯一の平原地帯が広がっている。かつてはその一帯がブル島
の政治経済中心地をなしていて、そこに王都が置かれ、そしてやってきたVOCが要塞を
築いた。


ブル島の地勢は大部分が山がちになっており、海抜2千7百メートルの島内最高峰カパラ
ッマダ山をはじめ多くの高峰が各地にそびえ、島の大部分が標高1千メートルを超える高
さにある。島の中央部には標高7百メートルのRana湖があって、定評ある観光目的先にな
っている。ちなみにブル島北部地域でマジョリティを占める先住民がラナ族・ラナ人と呼
ばれているひとびとだ。

カイェリ湾は湾の真ん中にも小型の岬があり、湾を扼する左右と湾内中央という三つの岬
が大きく崩れたWの形を類推させてくれる。昔から栄えたカイェリの町は湾の南側に位置
している一方、現在のブル県県庁所在地であるNamleaは対面の北側半島部にある。

カイェリに比較して自然条件が劣っているために元々は少数の地元民が作った寒村でしか
なかったナムレアが県庁所在地になるに至ったのはオランダ時代にそこで発展が起こった
ためだったが、このナムレア発展のきっかけもオランダ人が作った。

そのひとつが、退役軍人カプテン デ ヴィリゲンがアンボン人青年ヘインチェ・リンバを
相棒にして、ブル島の広大なエリアにおけるカユプティ油精製事業コンセッションを獲得
し、事業のヘッドクォーターを寒村ナムレアに置いたことだった。事業に雇われる原住民
のための集落などを近辺に配置しながらふたりは生活条件の良い場所に大きな家を建てた。
そしてカプテンはそれまで本拠地にしていたアンボンに戻ると、年長の子供ふたりをジャ
ワ島の学校に移し、残った妻と8人の幼い子供たちを連れてナムレアに移り住んだ。
[ 続く ]