「ヌサンタラのコーヒー(99)」(2024年03月20日)

インドネシア人学者によれば、商品を独占して市場での相場形成が起こらないようにし、
売り手が欲するままの高い値付けができる環境を作り、そのような手段に頼って大儲けし
ようと考える思想はヨーロッパ人が持ち込んで来たものだそうだ。ヌサンタラのひとびと
は自己の道徳律に従ってその経済手法を汚れて醜いものという価値観で見た。

この話は、自文化内に築かれた善悪観念で悪とされている行為を行なう者はいないという
ことを言っているのではない。必要に応じて悪を承知で行なうのが人間という生き物なの
である。人間はだれもが善を行なうことを欲する生き物だというナイーブな人間観とは次
元の違う話だ。

反対にヌサンタラの売買交渉の場で行われるタワルムナワルを汚れて醜いものと見なす外
国文化もある。どこの世界にもかつては商道徳や商倫理というものがあったようだ。だが
それを外国文化が破壊しようがその文化内の人間が革命を起こそうが、人類は金が金を生
む仕組みを作り上げる欲望を飽くことなく追求して行った。その重厚に築かれた構造が発
する巨大なパワーを前にして個人の倫理性は既に何の力を持つこともできず、行政統治が
理念に戴く「社会の維持発展の実現」という枠組みの中で唯一、法治システムだけがその
巨大なパワーをコントロールできる形態に変化して21世紀に至っているようにわたしに
は見える。

テルナーテのスルタンが持っているクローブの実を購入する立場のVOCがスルタンに対
し、すべてのクローブをVOCにだけVOCの望む価格で売らせ、スルタンの持っている
クローブの木はVOCが監督できない場所に一切存在しないようにするということが行わ
れた。オランダの富の蓄積の原点として機能したVOCの諸方針の中に間違いなくそれが
あった。こんな通商方式が地球上に出現したのも西洋文明の勝利を示す例証なのだろう。
勝利が常に清く美しいものであるとは限らないのだ。


クローブの木を減らす土地のリストの中にブル島が含まれていたのは言うまでもないこと
だ。巨大な島の長大な海岸線をVOCがどうやって見張るのか。金庫の中を空っぽにすれ
ば、金庫を警備する必要性など存在しなくなる。

だがいくら名目上でテルナーテのスルタンが持ち主だとは言いながら、ブル島の民衆はク
ローブの実を収穫して買付人に売ることで生計を立てているのだ。オランダVOCであれ
イギリスEICであれ、あるいはデンマーク人であろうがインド人であろうが、クローブ
を買ってくれる者はみんな同じお客なのである。

クローブ木が切り倒され始めると、ブル島の民衆は対VOC抵抗戦を開始した。VOCは
鎮圧軍を送り込んだ。1657年、民衆反乱が鎮圧されると、海岸部住民はカイェリ地区
に強制移住させられた。VOCはカイェリに要塞を建設し、移住させた原住民を監視下に
置いた。要塞は1658年に完成している。そして住民のいなくなった土地でクローブ木
の切り倒しが再開され、島内のクローブが全滅した。ブル島の植生がサヴァンナ型になっ
たのはそのせいだという声もある。

このオランダの富の蓄積のために切り倒されたクローブの木はいったい何本だったのだろ
うか、そしてそれに抵抗してVOC軍に殺されたブル島住民の数は何人だったのか?木を
滅ぼすために人間も一緒に滅ぼした話をあなたはかつて聞いたことがあっただろうか?


現代のわれわれにとってブル島の名は、イ_アの国民的小説家プラムディア・アナンタ・
トゥルの名に付随して出て来るものになっている。G30S政変の結果誕生した新興オル
バレジームがブル島を、旧体制に関わっていた大量の政治犯を島流しして官憲の監視下に
キャンプ生活させる流刑地にしたためだ。

政治犯に対する流刑という措置はヨーロッパで古くから行われてきたものであり、ヨーロ
ッパ人による政治を長期にわたって体験したインドネシアでは昔から有り余るほどの実例
が記録されている。オランダ東インド時代が始まってから、反オランダ蜂起事件の首謀者
のほとんどは流刑されて監視下の余生を送った。

その場合の流刑先はさまざまだったが、20世紀に入ってから非合法政治活動家(つまり
は共産主義者や急進的民族主義者)の流刑先として有名になったのがパプア島のボーフェ
ンディグルだった。ボーフェンディグルがいっぱいになれば次の候補地としてオランダ東
インド政庁はブル島を予定していたという話があり、だったら何のことはない、プラムデ
ィアをはじめ1万2千人のG30S流刑者はオランダ時代に作られた構想のレールの上に
載せられていただけということになる。[ 続く ]