「世界を揺さぶったスパイス(1)」(2024年04月17日)

ヨーロッパ人の大航海時代を先駆けたポルトガルそしてスペインの海外雄飛をけん引した
動機にはどのようなものが混じり合っていたのだろうか?ポルトガル人はそれを三つにま
とめて表明した。feitoria通商、fortaleza征服、igreja宗教だ。イスラム教徒の支配か
ら脱して民族独立を達成したポルトガル人がその勢いをイスラムの勢力下にある北アフリ
カのマグレブ地方の奪取と征服に向け、国力を強化するために海外の物産物資を入手し、
未開人にキリスト教文明の光をもたらして同一文明を奉じる弟分にしようという世界制覇
構想がそれだったのではあるまいか。

その中に、そのころヨーロッパ域内で黄金に比される価値を持っていた東インドに産する
スパイスを入手することももちろん含まれていたはずだ。ポルトガル人はその入手を通商
という概念で捉えたのだろうか、それとも征服という観念の中で眺めたのだろうか?

トルコや地中海東岸のレヴァント地方との通商に都市国家としての存亡を賭けていたヴェ
ネツィアが独占する商品になっていた東インドのスパイスは、ヨーロッパ社会にとって単
なる食生活における必需品あるいは重要な医薬品という役割にとどまらず、ステータスシ
ンボルとしての機能すら果たしていた。


ポルトガルが始めた東インドのスパイスを求める動きに次々と準備を整えたヨーロッパ諸
国が続々とその後を追い、国家の総力を結集して見苦しい奪い合いを演じる姿が数世紀に
わたって続けられた。ヨーロッパ人がやってくる以前に、アジアの域内にある諸勢力がマ
ルク地方のスパイスを巡ってそのようなことを行なっただろうか?

それまでアジアの諸勢力が穏やかな通商で手に入れていたマルク地方のスパイスを、力を
もって独占しようとする商道徳に欠けた一群の白色人種がやってきて荒らし始めたのであ
る。それを世界発見時代の幕開けという言葉で呼ぶように教えられたわれわれの歴史観は
どれほどフェアなものなのだろうか。ヨーロッパ人が成し遂げた世界発見史のストーリー
に東インドのスパイスは初期の誘因としてしか描かれず、未知の世界に光を当てる人類(
ヨーロッパ人は自分を指して人類と呼んだ)の知識欲充足という崇高な動機が全編を覆っ
ているように見える。ヨーロッパ文明の世界制覇の記録がそれなのである。そしてその出
だしが非文明的だったことを語る声はあまり聞こえてこない。

日本人の知性の中であまり強く意識されていないように思われる、東インドにだけ産する
スパイスを直接入手するという経済面での実利を、ヨーロッパ人が開始した人類史におけ
る世界発見時代幕開けの動機として最上位に置くインドネシア歴史学界の声は大きい。ヴ
ァスコ・ダ・ガマのインドへの航海に始まる一連のポルトガル船の東方航海も、フェルノ
ウン・ドゥ・マガリャエンス(マゼラン)のスペイン船による世界一周航海も、モルッカ
スのスパイスを目当てにして行われたのは間違いのないところだ。


ヨーロッパ人がやってきて争奪を始めるようになってからインドネシアのスパイスが歴史
の立役者としてスポットライトを浴び始めたのは事実だが、その前の時代に影の薄い存在
だったかと言うと、決してそんなことはない。その時代には、スパイスの産地や大きい商
港にアラブ・ペルシャ・インド・東南アジア・中国などから商船がやってきて平和的友好
的に商取引が行なわれ、そしてたいてい静かに去って行くのが普通だった。ヨーロッパ人
がやってきてから騒ぎが起こるようになり、騒ぎのおかげでスパイスという言葉がわれわ
れの印象に深く刻み込まれたのである。スパイス自体の問題ではなかったはずだ。

それらの産地や商港を支配する王国を自分の配下に組み込もうとする、もっと大きいスコ
ープの軍事衝突はもちろんこの域内で絶え間なく起こったが、スパイス自体は数ある物産
物資のワンノブゼムでしかなかった。その意味から、スパイスを求めてやってきたヨーロ
ッパ人が産地や商港を支配するプリブミ王国と衝突したときにスパイスの影が色濃く浮か
び上がり、そこに脚光が当たったということではないだろうか。[ 続く ]