「居留地制度と通行証制度(1)」(2024年04月23日)

インドネシア人プリブミの中にインドネシア華人のことを、昔オランダ人がヌサンタラを
支配していた時代、華人はオランダ人の手先になってプリブミを搾取する尖兵になってい
たと非難する論を唱えるひとびとがいる。ところがそれと同じ語調で張本人のオランダ人
を非難する言葉に接した記憶がわたしにはない。

ここでわたしがインドネシア華人と言っているひとびとのほぼすべてが数百年前に渡来し
てきた純血華人と地元プリブミの間に生まれた混血子孫であり、インドネシア共和国成立
時あるいはそれから程なくしてインドネシア国籍を得た人々であることをお断りしておこ
う。客観的に見るならかれらは単なる華人とインドネシア人の混血国民なのである。イン
ドネシア文化に対して異文化という感覚を持っていないひとびとであると言ってもかまわ
ないだろう。

だから民族性における純血混血をあまり問題視しない他の国では同じ同胞国民をこのよう
に区分して差別化をしないのが普通の姿ではないかとわたしには思われる。ある特定異民
族との混血国民をあたかも異人種の非同胞国民と見なす姿勢はビンネカトゥンガルイカの
国是に反することにならないだろうか。

その対立姿勢を善しとしない知識層プリブミが語る話の中に、「自分は百パーセントプリ
ブミだと信じている皆さんの中に、先祖のどこかに華人の血が混じりこんだことなど絶対
ないということを客観的科学的に立証できる方がどれほどいらっしゃるだろうか。」とい
うセリフをわたしは時々耳目にしている。

アラブ系やヨーロッパ系の混血子孫には笑みを湛えてすり寄る一方、中華系子孫には手の
ひらを返してしかめ面をして見せるこのメンタリティはインドネシアが抱える大きな弱点
のひとつのように見える。人間という生き物は自分が見下したりいじめたりすることので
きる他者を持たなければ自分自身の核が溶けて無くなるものなのだろうか?


鋭さ厳しさに劣る対オランダ人非難や告発と同様に、プリブミ大衆を抑圧し搾取したプリ
ブミ王国の統治支配者に対する非難や告発も対華人ほどの激しさを持っていないように感
じられる。オランダ東インドという南洋の牝牛から搾れるだけミルクを搾るためにオラン
ダ人が執った手法は、従来からあったプリブミ封建構造をそのまま使うスタトゥスクオ方
針だった。オランダ人がプリブミ大衆に強制労働させたり商業用作物を強制栽培させると
き、あるいはオランダ人が大衆に課税するとき、オランダ人が立てた企画を担いで現場レ
ベルに下ろし、民衆にその実行を強制し監督したのは昔ながらの封建機構だったのだ。

東インド政庁はプリブミ封建機構上層部を飼い殺しするために月給を与えたり、種々の優
遇策を講じた。つまりプリブミ封建体制の上部構造はオランダ人とグルになって民衆を搾
取していたと批判されて当然のありさまがヌサンタラで広範に展開されていたのである。
その深刻さは華人が徴税請負者になってプリブミ大衆をいじめたなどというレベルの比で
はないだろうとわたしは思うのだが、封建時代の王宮や貴族たちに向けられる非難も対華
人ほどの峻烈さを感じさせないものになっている。これは一体どうしたことなのか?


1998年5月のジャカルタ暴動で華人が襲撃のターゲットにされたのは、プリブミ社会
に反華人プロパガンダが昔から熾火のように燃え続けていたことが手を貸している。社会
の中で層をなしている共通理解の中の1ページに書かれた反華人プロパガンダは、そのペ
ージが破り捨てられないかぎり、再び犠牲者を生み出す可能性を持っているにちがいある
まい。

憐れむべきは印尼華人ということかもしれない。他人の国に勝手に流れ着いて住み着き、
地元民を立てようとしないでただただ自己繁栄を追求するような異国人が行き着く結末が
それなのだろうか。いや、プロヴィンシャルメンタリティの視点を通して眺めればそんな
論理になるかもしれないが、都市メンタリティはどんな流れ者がどこの宇宙からやって来
ようが必ず受け入れ、決して拒まないのである。真の都市とは異文化共存が引き起こす摩
擦を梃子にしてより大きく膨らもうとする姿勢を絶やさないものなのだ。それは人類の歴
史を見れば明らかだろう。ローマが、パリが、バグダードが、長安が巨大で文明的な大都
市になったのはそのメンタリティのおかげだったと言えないだろうか。[ 続く ]