「世界を揺さぶったスパイス(9)」(2024年04月29日)

高さ37センチ、幅24.5センチ、厚さ5ミリほどのボジョン勅諚板と呼ばれる状札が
遺物として残されており、そこにはアラブ文字でこんな文が書かれている。「カパルやジ
ュンあるいは他の船でランプンを訪れる者は誰でもコショウを買うことを望む。ところが
その者がこのような形の印状を持っていないなら、その者は必ず拒まれ、決してコショウ
を買うことを許さないようにされたい」

バンテン地方のジャワ語方言で書かれたその文から、西暦1500年から1800年の間
ランプンにおけるバンテンの支配力が、特にコショウ売買の面において、たいへん強かっ
たことをわれわれは知ることができる。

バンテン王国はランプンを制覇してからパレンバンにまで兵を進めた。当時、パレンバン
もコショウを有力な国際商品にしている商港だったのだ。ジャンビ、バンカ、トゥランバ
ワンなどからコショウがパレンバンに集まってきた。バンテンのパレンバン進攻は黒コシ
ョウの大産地であるトゥランバワンをマウラナ・ハサヌディンが支配下に置こうと企てた
ことを示している。だがそこには、やはりポルトガル人の存在も影響を及ぼしていた。

マラカのポルトガル人もトゥランバワンを支配下に置こうとして、現在のトゥランバワン
県の首府であるムンガラを攻めた。マラカに居座ったポルトガル人を追い払う戦略を立て
たドゥマッを盟主にするジャワ島北岸イスラム都市国家群にとっては、ポルトガル人がス
マトラのコショウの産地からコショウを無料で手に入れて直接ヨーロッパに送り出すよう
なことは絶対にさせたくなかったにちがいあるまい。


しかし結局のところ、ランプンはヨーロッパ人の手中に落ちてしまった。バンテンの王宮
で内紛が起こると、VOCは自分に頼る側を助けてその敵を倒し、王宮内で影響力を振る
うようになったのだ。

明君主スルタン アグン ティルタヤサはバンテン王国に黄金時代をもたらしたものの、長
男の息子に裏切られて悲運の結末を迎えることになった。多忙なティルタヤサは長男を信
頼して内政を見させ、自分は外事をもっぱら管掌して次男のプルバヤを助手に使った。

ティルタヤサの基本方針が反VOCであることを覚ったVOC側はティルタヤサを失脚さ
せて使いやすい人間をスルタンにする謀略を開始した。後にスルタン ハジという名前で
呼ばれるようになる長男がVOCにとっての操り人形にもってこいの人物だったようだ。
VOCのバンテンレップは長男に吹き込んだ。「あなたの父君は次男を次のスルタン後継
者にするつもりですぞ。次男をいつも連れ歩いて教育に怠りない。あなたはどれほどスル
タンになるための教育を父君から受けているのですか?」

疑心暗鬼に陥った長男はVOCと組んで王宮内でクーデターを起こし、父王を廃位して自
分が玉座に座った。スルタンハジは自分を玉座に着けてくれたVOCに謝礼を出さねばな
らない。VOCとバンテンスルタン国が結んだ協定の骨子は:
・チルボンをVOCに割譲する
・バンテンのコショウ売買をVOCの独占にし、他国の商人を追放する
・協定に違反すれば、バンテンは60万リンギッの違約金をVOCに支払う
・プリアガン地方の海岸部と内陸部を占領しているバンテン軍をすべて引き上げる 
というものだった。

バンテンのコショウ売買がVOCの独占になれば、ランプンにおけるコショウに関わる一
切もVOCの手に委ねられることになる。

1682年3月12日付けで長男がバンテン港に停泊中のVOC軍船司令官イサック・ド
ゥ セン マルテン少佐宛に送った手紙には次のような文章が見られる。「わたしはお願い
する。少佐(カプテンモール)がお望みの、ランプンなどのコショウを産するティルタヤ
サの支配地をわたしは直ちにコンペニにお渡しするであろう。」コンペニとはVOCのこ
とだ。そしてその年8月22日に結ばれた上述の協定でスルタン ハジの言葉はその通り
実現した。[ 続く ]