「世界を揺さぶったスパイス(16)」(2024年05月13日)

カウル県マジェ郡シナルジャヤ村の住民のひとりは一家の収入の最大部分をコショウが占
めていると語る。年一回のコショウの収穫で日々の生活需要を満たし、また子供の教育の
ための出費に使う。一回の収穫期で得たコショウは翌年の収穫期が来てもまだ残っている
ことが多い。自分はコショウのおかげで大学まで行けた。コショウ園を拡張するために2
ヘクタールの土地を購入したが、その資金はコショウでまかなった。コショウはそのまま
バーターに使うこともできる。布・家庭用の諸道具や器具類・海産魚などを買うときに、
コショウで支払うことすら可能なのだ。

マジェ郡ムアラジャヤ村の住民はこんな話を物語った。村民はたいてい自分の畑の作物と
してコショウを優先している。他の作物に比べてコショウはとても利益が大きい。コショ
ウの収穫期はだいたい2〜3ヵ月間続く。その時期になると、畑の持ち主はみんな畑に建
てた小屋に泊まりこんで畑を見張る。村に失業者などいない。若者が学校を終えると、コ
ショウ畑で働くのを好む。都市への出稼ぎを望む者はあまりいない。都市へ出て仕事に就
いても、故郷のコショウ畑で手に入る収入を上回る保証などどこにもないからだ。


何百年にもわたって代々コショウで生きてきた家系が村民の大半を占めている。その何百
年もの間それらの村々では、コショウ経済が共同体社会を回転させてきた。十分な収穫量
が得られ、若者たちには仕事があり、村のパサルは大いに賑わい、貧窮している家庭はほ
とんどなく、犯罪行為も滅多に起こらない。ひとびとの暮らしはその長い期間、コショウ
と手を携えて営まれてきた。コショウが自動車・家・土地・メッカ巡礼・学歴などを生ん
できたのだ。だが災厄は音もなく忍び寄ってきた。

コショウの支柱樹に使われているダダップ樹が病気にやられるようになった。ダダップ樹
の中の緑ダダップが病気に弱いため、抵抗力の強い黄ダダップに植え替えたところ、今度
は病気がコショウの木を襲うようになった。

枝に白いカビ状のものができると、それが葉に進行して行き、そして2週間で枝全体が死
んでしまう。政府もこの病気に対処する方法がまったく分からないため、農民の多くはコ
ショウ栽培をあきらめてパームヤシやゴムあるいはカカオなどに転換していった。ブンク
ル州のコショウ栽培面積は見る見るうちに減少して行ったのである。


インドネシアにも陸続きで国境を通過できる場所がいくつかある。国境通過ポストと呼ば
れているそれらの場所では国際開港や空港のように入出国管理手続きや通関が行われてい
て、国籍を問わず通過者の入出国が管理されている。

ところがそんな陸続きの土地には、遠い昔に一族の者が離れた場所に住んだ後、近代にな
ってその間に国境線が引かれた、ということを体験したひとびとがたくさん住んでいる。
国境線が引かれる前は何らかの祭りなどで一族全員が集まっていたというのに、国境線が
引かれたために仲を引き裂かれるというのは人情においてしのびないということになった
のだろう、そのようなひとびとに対して国境通過パスを与える制度が作られた。パスをも
らったひとたちはいつでも好きな時に隣国を訪れることができる。

西カリマンタン州サンガウ県エンティコンに、マレーシアのサラワク州につながる国境通
過ポストがある。エンティコンの国境沿いにあるソンタス村はコショウ栽培で豊かになっ
た村だ。村民の多くは子供たちを大学まであげることができ、また日々の生活需要を満た
すことにも困らない暮らしをしている。[ 続く ]