「マカサルの洋学者(3)」(2025年06月14日)

その日ソンバオプの港に集まった地元民たちの関心は巨大な地球儀にあった。制作者のヨ
アン・ブラウ自身が讃嘆したという直径1.3メートルの地球儀は17世紀中葉のアジア
で最大のものだったにちがいあるまい。この著名なカルトグラフィァーはデンマークの天
文学者チコ・パー(Tyco Brahe)のために天体望遠鏡を作っている。パーは高さ3メートル
の望遠鏡がたいへん正確なスケールを持っている点を賞賛した。パーはまだ地動説の信奉
者だったとはいえ、当時の世界では優れた天文学者と評価されていた。

その当時の世界ではアムステルダム製の地図にトップクラスの定評が付けられており、ヨ
アンはアムステルダムでもっとも著名なアトラスと地球儀の製作家の二代目だった。ヨア
ンの父親、ヴィレム・ヤンスゾーン・ブラウは1604年のオランダ地図、1605〜6
年の世界地図、そして航海の光(Het Licht der Zeevaerdt)と名付けられたさまざまな海
図でカルトグラファー界にその名を確立させた。かれの作ったいろいろなバージョン・言
語・タイトルの海図が世界中で使われた。

VOCのハイドログラファーだったヨアンは1635年ごろにAtlas Novusと題する世界
地図を制作した。カルトグラフィの歴史的大家であるジェラール・メルカトルの製作図を
元にして、最新の情報の盛り込まれた他の作品をも参照しながら完成度を高めたアトラス
ノヴスは当時の世界における最高傑作だった。パッティ~ガロアンの注文リストにあった
世界地図とは、多分それを指していたのではなかろうか。


パッティ~ガロアンの注文がアムステルダムに届いたとき、オランダの知識層の間にその
情報が稲妻のように広がった。画家レンブラントと同時期に生きた、オランダ最大の劇作
家で詩人でもあるヨースト・ファン デン フォンドゥルはパッティ~ガロアンに捧げる詩
を書いた。

ドイツのコロンに生まれたフォンドゥルは1637年の作品Gijsbrecht van Aemstelや1
654年のLuciferなどの戯曲でヨーロッパの文学界に影響を与えた人物であり、イギリ
ス人ジョン・ミルトンの叙事詩「失楽園」(1667年)にその強い影響を見ることがで
きる。

パッティ~ガロアンに捧げたそのユーロジーはヨーロッパが抱いた暗い体験に根差してい
るように思われる。王と王を取り巻く貴族たちが学問を軽んじた大陸がヨーロッパだ。領
土拡張に学問など少しも貢献しないのだから。司教や神父たちも学問に反対した。絶対性
を持つ真理が既に教団の手中にあるのだとかれらは言う。学者たちは疎外され放浪し、ひ
とにぎりの開明的な支配者の下でのみ、まともな仕事をすることができた。ミチャエル・
セルヴェトゥスやジョルダノ・ブルノのような不幸なフリーランス思想家は燃え上がる火
の上で知性の冒険の生涯を閉じた。

フォンドゥルはパッティ~ガロアンという人物の内部に驚嘆すべきコンビネーションを見
出したのだろう。大スルタン国の上級支配者であると同時に、たいへんな熱意を持って学
問を探求しようとしているひとりの人物。フォンドゥルの抱いた、宗教や大陸を超越する
知性の友誼の心情が詩作の行間に漂っている。

その地球儀はVOCが偉大なる
パッティ~ガロアンの宮殿に届けるものだ
かれの頭脳は諸所を調べる
地球のすべてはあまりにも小さい
われわれは権力の長い杖が伸びて
一方の極ともうひとつの極に達することを望む
われわれの友情でなくその銅製の品物だけを
時の老化が朽ちさせるように
[ 続く ]