「続・印尼華人の実像(4)」(2025年07月01日)

一方、P.K.オヨンを首座に置く10人ほどの印尼華人著名人たちは別の意見を持っていた。
インドネシアにおける中華問題はマイノリティである印尼華人層がプリブミ社会に同化す
ることによってしか解決されない、という見解だ。その同化は自由と自主性がベースに置
かれなければならない。さもなければ人道問題に変質してしまうだろう。

Baperkiのふたつの見解は本質的に人種の存続と定立を謳っているのに対し、もうひとつ
はインドネシア民族の中に印尼華人層が徐々に溶け込んでいき、マイノリティ集団として
の形を消滅させることを主張している。政治的であれ文化的であれ、中国へのオリエンテ
ーションを否定しているのだ。かれらの精神はインドネシアへの帰属志向を示しているの
である。

その違いを別の視点から言い換えるなら、Baperkiの見解はジャワ人・アチェ人・マドゥ
ラ人などのように華人もこの国家を構成する人種的なひとつの集団として存立するという
ものだ。ただしジャワ人などの他の種族国民はプリブミとして自分たちの郷土を持ってい
るが、華人にはそれがない。

一方、第三の見解は印尼華人層という人種カテゴリーを作らず、各個人が自分の居住地で
その地の地元民と共生し、家系をその中に溶け込ませていくというものになっている。実
際に、ミナハサではマナド人社会に、ソロではジャワ人社会に溶け込んでいくことが行わ
れている。古い時代に渡来した家系はたいていが既にそうなっている。


人類学者クンチョロニンラ教授が1988年のコンパス紙に発表した論文にも、華人プラ
ナカン国民はマイノリティ人種集団という形を作るべきでないという内容が記されている。
インドネシアで華人は外来者なのである。パキスタンのムハジル人やスリランカのタミル
人と同じなのだ。人口的に完ぺきなマイノリティである外来者集団は地元民の社会に溶け
込んでいくのがもっともよいあり方だ。ただし宗教や伝統芸術は本人の自由の範疇に属し
ている。

インドネシアの華人は植民地時代に東洋人居留者に区分され、そのカテゴリーがインドネ
シアプリブミより高い社会的地位を与えられたために反目が生じると同時に、自分より低
い階層に溶け込むことを困難にした。

華人プラナカン国民とプリブミ国民がより接近して相互理解を深める態勢になったのは1
965年に中華系学校教育が廃止されてからのことだ。それまで華人は都市部に設けられ
たプチナンに住み、東洋人居留者のために作られた学校で教育を受けていた。華人プラナ
カン国民とプリブミ国民間の融合はこれからも更にレベルアップされるべきことがらだ。


クンチョロニンラ教授が説いたような状況がオルバ時代に華人系プラナカン国民を包んで
いた。その時代を体験してきたかれらはその親の世代と異なる資質を持つようになった。
レフォルマシ時代に華人系プラナカン国民が示すようになった変化をあるメディアは次の
ように語っている。

世の中で自分を華人と認めることに恥ずかしい思いを抱く者がいる。また、自分を華人だ
と言わねばならない状況に陥ったとき、チャイニーズと言わないでインドネシアンチャイ
ニーズだと言う傾向が強まっている。

標準中国語(マンダリン)を好まないひとびとがいる。親の世代にマンダリンを話せる者
がいても、その子供はマンダリンを話せない。世代間のアイデンティティの違いがそんな
形で発生している。[ 続く ]