「続・印尼華人の実像(5)」(2025年07月02日) 1965〜1998年に生まれ育った世代は中華風でなく西洋風の世代になった。そのた めに親子の間で基本的な生活規範が異なっている。西洋風のライフスタイルに対する志向 はプリブミ層にもあるものであり、文化面における両者の歩み寄りという解釈も可能だろ う。 しかしレフォルマシ時代の自由化の進展を享受しながらも、自分の意見を表明したいとき、 政治トラウマのせいで極度に用心深くなる華人系プラナカン国民もいまだにいる。 自分はチャイニーズでなくてインドネシアンチャイニーズだという言葉の違いの裏に潜ん でいる意味合いをどれほどの人が理解しているだろうか?フランス人でインドネシア中華 文化研究の大家であるクローディヌ・サルモン女史は、中国にいる中国人はインドネシア ンチャイニーズを自分たちの一部だとは思っていない、と明言しているのだ。 インドネシアンチャイニーズは中華の影を引きずってはいても、純血華人にとってはもは や同じ文化の子孫だというセンチメントを抱く対象になっていない。だからインドネシア の華人プラナカン国民層の中に、その現実に対応する姿勢を執る者がいるのである。その 実態を見るかぎり、東南アジア諸国の華人系国民は何人だなどというサイコじみた黄禍論 の亡霊は滅却されてしかるべきではないだろうか。 インドネシア国民はさまざまな種族sukuで構成されている。その種族間にも混交の波が行 き渡り、多様な種族同士の間で融合同化現象が進展し、インドネシア国民という一体化し た人種に向かいつつある。華人系国民もそんなsukuのひとつだ、ところが一般国民は華人 系国民をsuku asing外来種族だと言う。何世代にもわたってインドネシアに生まれ育ち、 世代交代を行ってきた人間のいったいどこが外来なのだろうか?サルモン女史はそう問う のである。 かの女はさらに言う。「インドネシアの華人プラナカンが持っている中華文化は中国本土 の中華文化とまるで違うものだ。印尼華人がインドネシアで経てきた長い歴史を知らない ひとには、それが解らない。自分をプリブミだと思っているインドネシア人の中にも、遠 い祖先のどこかで華人の血が混じりこんだひとびとがかなりいるとわたしは考えている。 わたし自身にしても、自分はフランス人だが祖先はたぶんドイツから来たように思う。」 現代インドネシアで華人系プラナカン国民は出身地別にいくつかの特徴的なグループに分 類されていて、均質でないことが次のように説明されている。 まずプラナカンという言葉は地元人種と外来人種との間でその地に生まれた子共とその子 孫を意味している。そのたとえとして、自分は中国へ行ったこともなく、中国語も話せず、 中華文化もあまり知らないような人間ですが、父親が中国人だったために中国人として扱 われています、というたとえが時おり使われている。 華人系プラナカンの中で特徴的なグループのひとつにCina Bentengがある。ここで使われ ているベンテンとはジャカルタ近郊のタングラン地区を指しており、つまりはタングラン 地区で地元のスンダ人あるいはバンテン人と融合した華人グループがそれだ。もちろんバ ンテンで融合した華人系プラナカンがタングランに移ることもあっただろう。 外見的特徴はむしろプリブミの方に近い。たいてい一般的な華人よりも肌の色が暗い。1 740年以降にバタヴィア華人が大虐殺から逃れてタングランに住み着いたころからチナ ベンテンの歴史が始まっているという説が一般的だ。しかしスンダのヒンドゥ王国時代に Teluk Nagaに上陸した華人移住者の話もあり、この移住者集団はチサダネ川流域に広がっ て農業を営んだ。たいていが地元のスンダ女性を妻にしている。ナガ湾という地名は中国 船の舳先に置かれた龍の彫像に由来しているという説もある。 タングランはその地域の中にできた町であり、1740年以前に華人系プラナカンがタン グランにいなかったとは考えにくい。[ 続く ]