「続・印尼華人の実像(12)」(2025年07月09日)

南スラウェシ州タカラル県南ガレソン郡はマカサルから20キロほど南にある。海岸沿い
の村々はたいていが漁村であり、そんな漁村にも華人系のひとびとが住んでいる。ハサヌ
ディン大学社会学者によれば、南スラウェシ州西海岸沿いの村に住んでいる華人は鄭和の
来航以後にやってきたひとびとであり、18世紀ごろから中国船がやってきて通商を行い、
住み着く華人が増えるようになったそうだ。

オルバレジーム下の同化政策に従って華人プラナカン層の中にブギス人と結婚する者が増
加した。しかし中華アイデンティティをあっさりと放棄できるものでもない。ブギス人の
一家と姻戚関係を結び、イスラム教徒になったとはいえ、中国名を使い続けたり、あるい
は中国寺院の世話をするひともいる。これは2010年2月のコンパス紙記事だ。

ブギス女性を妻にし、イスラムに改宗したヨー・コッヤンさん76歳は、自宅のすぐそば
にある息子の家に遊びに来た。そこは波打ち際から20メートルほどしか離れていない。
息子のアグス・ババロンポと妻のハリア・デンタコの間にできた孫とかれは会話する。孫
娘のムスリアナ10歳の手足はやせ細っている。広さ4x5メートルの息子の家の壁はト
タン板でできており、あちこちに穴があいていて、ビニールが貼られている。かれらの暮
らしには貧困の色が濃くにじんでいる。アグスも父親の後を継いで漁師になった。収入は
月に50万ルピアほどしかない。

コッヤンの家もアグスの家と大差ない印象だが、壁は日干しレンガで作られている。そう
であっても、余裕のある暮らしには見えない。アグスの弟妹たち4人がまだそこで暮らし
ているのだ。コッヤンの収入は月70万ルピアあるとはいえ、弟妹たちの生活は父親の収
入だけが頼りなのだ。

コッヤンもそこで生まれた。4世代にわたって漁民の暮らしを続けている。世代が代わっ
ても暮らしぶりにたいした変化は訪れない。ガレソン海岸には百家族を超える華人プラナ
カン国民が、地元のプリブミ種族に混じって暮らしている。どの家もたいてい漁業を営ん
でいて、経済状況は似たり寄ったりだ。


タカラル県議会議員バッティアル・シャム氏も華人プラナカンだ。父親のハジ ムハンマ
ッ・シャムは華人名をヨー・テンチと言った。ムスリムであるかれは祖先崇拝を行わない。
しかし華人というアイデンティティは持ち続けている。

ガレソンにある中国寺院パンコーオンの管理人を務めているヨー・ギオンヒンさんも祖先
崇拝を行わない。しかし中国寺院を世話することで祖先への尊敬を示しているとかれは言
う。かれもプリブミの妻を持ち、イスラム教徒になったが、名前は中華名を維持している。
自分の半生の中に描かれた華人のアイデンティティを別のものに入れ替えるのは困難なの
だろう。

マカサルの華人コミュニティ有力者ヨンシ・ロロ氏は、華人が持っている祖先への尊崇意
識を同化の名のもとに切り捨てさせるのは難しいとコメントした。イスラム教徒になれば
形の上で祖先崇拝を行うわけにはいかないから、祖先を拝むような振舞いはできない。し
かし自分の核になっているアイデンティティの中にある、祖先を敬う気持ちを捨てること
はできない。「天があれば地がある。根があるから樹がある。祖先があるからわれわれが
ある。祖先がなければ今のわれわれもここにはいない。」そんな格言の真理が華人プラナ
カンの心中にある。

華人の暮らしを成り立たせている柱の中には、祖先崇拝もあれば諸神への信仰もある。い
わゆる神頼みという心理であり、それが生きることへの楽観性の窓を開く役割をも果たし
ている。中華伝統文化が構築している生活の枠組みの基盤を支えている価値観は華人プラ
ナカン層の精神の中にもしみ込んでいる。[ 続く ]