「ストーム(1)」(2025年07月11日) 明治時代後期から大正・昭和初期にかけての日本で、旧制高等学校の新入生はストームと 呼ばれるしごきを受けることが義務付けられていた。そっくり同じことがインドネシアで もオランダ領東インド時代に行われ、インドネシアが独立したあともいまだに続けられて いる。インドネシアでこの新入生へのしごきはperploncoan/perpeloncoanと呼ばれている。 前者はジャワ語綴りのploncoにper-anが付いたものであり、後者はインドネシア語綴りの peloncoのper-an形だ。 ジャワ語のプロンチョは新入りや新米といった意味を表す言葉だが、インドネシア語のプ ロンチョは既にプルプロンチョアンの意味に特化したものになっている。インドネシアで この習慣を始めたオランダ人はこの儀式をontgroeningと呼んでいた。 オランダ人にとってオンツフルーニンは新しい世界に入ってそこの先輩たちに仲間として 認めてもらうために受ける一種の洗礼バプティスムであると理解されている。オランダ語 ontgroeningの日本語訳がいじめとか新参者に対して行われるいたずらなどになっている のは的外れだろう。もっと本質的な把握ができないものだろうか? 日本のストーム活動の由来をインターネットAIに尋ねてみたが、明快な確答が得られなか った。新入りを新しい環境に早く慣れさせ、しかもはじめて親元を離れて外の風に当たる という自立への変化が必要としている精神的な成熟をも促進させることを目的にしている この儀式が日本でストームやシュトルムなどのヨーロッパ語で呼ばれていること、インド ネシアでは間違いなくオランダ人が持ち込んだものであることなどから、日本の旧制高校 のストームはヨーロッパで生まれた習慣を日本人が見倣った、つまり明治の日本人ヨーロ ッパ留学生が持ち帰ったものではないかと思われる。 オランダ語groenはグリーンを意味しており、新米を指す俗語でもある。オンツフルーニ ンは新参者が世間の風雨に耐えられるようにその精神を鍛え、同時に自分が入った世間と いうものに少しでも早く慣れるようにすることを目的にした人間教育の場というのが本来 の意図だったのではないだろうか。 オランダ時代にインドネシアで始められたオンツフルーニンの実例のひとつを1902年 に開校したプリブミ医師養成学校STOVIAに見ることができる。ストヴィアについては拙著 「西洋医学の導入(1〜4)」(2025年05月12〜15日)をご参照ください。 1924年にストヴィアに入ったモハンマッ・ルムはオンツフルーニンの洗礼を受けて驚 いた。昔から行われてきたストヴィアのオンツフルーニンでは、学校運営者による十分な 監督がなされていて、しごきリーダーの勢いが余って新入生に事故が起こらないようにす るためのケアが行き届いていた。 ルムによれば、ストヴィアのオンツフルーニンは3カ月間行われたそうだ。学習時間と休 憩時間にオンツフルーニンを行ってはならず、それ以外の時間に行われるだけだった。新 入生は自分の出身地のことを事細かく質問され、質問に答えられないで恥をかく体験をさ せられた。学生寮の壁の裏で新入生を坊主頭にすることは禁止されていた。 日本軍政時代に入ると、日本軍がオランダ語の使用を禁じたためにオンツフルーニンとい う言葉はプルプロンチョアンに替えられた。ジャカルタの医科大学で全校生徒を坊主頭に することが強制されたので、それを日本式のプルプロンチョアンと見なしているイ_ア語 記事もある。 男子学生の坊主頭という日本の習慣を占領地のインドネシアで強制したという見方ももち ろんあるのだが、プルプロンチョアンの精神的本質という点から見るなら、そのできごと をプルプロンチョアンのひとつだったと言うのも可能ではないかと思われる。[ 続く ]