「ストーム(終)」(2025年07月14日) 余談になるが、公務員養成学校の起源はオランダ植民地時代にさかのぼる。19世紀後半 に始められた経済民間開放政策が行政管理機構の人的資源不足を招いたために、東インド 政庁はその対策を講じる破目になった。 プリブミを行政官吏にして役所や公営会社の事務しごとの人材を増やす方針が立てられて、 政庁部内にBinnenlands Bestuur(内国行政局)が発足した。バタヴィアには人材養成の ためにOSVIA(Opleiding School Voor Inlandsche Ambtenaren プリブミ官吏養成学校)と MOSVIA(Middelbare Opleiding School Voor Inlandsche Ambtenaren 中級プリブミ官吏養 成学校)が設けられた。 それまで東インドでは、全国地方行政の下級首長であるブパティ・パティ・ウェダナには 地元の王族貴族が任じられ、その役職は代々その子孫に相続されていた。ところがついに 専門能力なしには務まらない時代がやってきたのである。オスヴィアやモスヴィアを高成 績で卒業しなければ、父親の役職をその息子が継ぐことができなくなってきたのだ。 ところがブパティ・パティ・ウェダナの地位にだれが就こうが、それまで現場で行われて きた腐敗行為は相変わらず継続されたから、ビンネンランズベストゥルが差配するように なった国内行政機構も相変わらずBBのままだと言われた。つまりBuaya Besarなのだそ うだ。 IPDNの前身とも言えるオスヴィアやモスヴィアでオンツフルーニンが行われたのだろうか? それらの学校に入る学生のほとんどが王族貴族や封建社会支配階層あるいは学術階層の子 弟だったようだから、オンツフルーニンを行い得たのかどうかよく分からない。 しかし20世紀に入って東インド政庁は続々とプリブミのための大学を開設し始めた。医 科・法科・工学・農業・・・それらの大学には社会エリートでない階層の子弟も頭さえ良 ければ入学したから、オンツフルーニンを行うための心理的障壁は小さかったのではない かと思われる。 ただしオンツフルーニンがそれらの大学で行われた事実を物語っている記事や記録がなか なか見つからず、ましてや新入生死亡事故の新聞記事もまったく見つからないそうだから、 上のストヴィアの例を除いては推測でモノを言うことしかできないらしい。[ 完 ]