「デリのニャイ(31)」(2025年07月21日)

そのころはまだシアンタルからトゥビンティンギに戻る列車に乗っていたロスミナ、カス
ミン、チューケンの三人はそんな事件が起こったことを露知らない。トゥビンティンギの
駅に着いてからチューケンはふたりと別れて別行動し、ロスミナとカスミンは昼ごろ農園
に戻った。そして事件の話を耳にしたロスミナが興味本位に監督人頭の家にやってきた。

死体を見るのが目的だ。しかし死体を見たら、ロスミナの心に恐怖が湧いた。
夜中に寝ている自分のところに幽霊が迷い出てきて、『わたしの生命を返せ』と迫るので
はないか。いやロスミナは決してホアブウィがロスミナを恨んで死んだということを知っ
ているわけではない。その時代、インドネシアの幽霊はそういう恨み言を口にすると信じ
られていただけの話である。もしもロスミナがホアブウィの自殺の理由を知っていたら、
絶対に死体の見物などしなかっただろう。

ロスミナが来ていることを監督人頭が目ざとく見つけて近寄った。ロスミナが監督人頭に
悔やみを言う。
「あんな若くてきれいなひとが自殺するなんて、いったいどんなわけがあったの?」
「わからない。あの女は気丈で意固地な女だったから。」
ほとんど2日間お預けを食わされたロスミナの身体を味わうこのチャンスを監督人頭が無
駄にするわけがなかった。監督人頭は自分の家の中を見てくれと言って案内しはじめた。

「ここにだれも来ない?」
とロスミナが言って目をキョロキョロさせたから、監督人頭はロスミナの手を引いて一番
奥の空き部屋に入り、ドアに鍵をかけてロスミナをベッドに押し倒した。

隣りの部屋にはチューケンがおらず、クウィホアの部屋は離れており、おまけに表が大勢
の人間でざわざわしていたから、家の中の人間はひとりもその情事に気付かなかった。監
督人頭はおよそ一時間、長い間食わされたお預けを取り戻そうとしてロスミナと楽しんだ。


ロスミナは10フローリン紙幣を10枚もらい、管理人助手の家に戻るためにそそくさと
監督人頭の家から出た。ちょうどそのときに、サドに乗ったチューケンが家に帰って来た
のだ。チューケンが不愉快そうにロスミナに言う。
「あんたは自分からおやじのところに来たんだな?」
と言ってロスミナを指差したから、ロスミナは言い訳した。
「ちがうわ。首吊りがあったのよ。」
そう言い残してスタスタと帰路をたどった。その言葉にチューケンは驚き、ロスミナを追
う気がなくなった。

チューケンが下男に「誰が死んだのか」と尋ねると、大奥様だと下男が返事した。
「何の病気で死んだのか?」
「首吊り自殺です。」
「ええっ?なんでだ。」
「わかりません。」

チューケンは疲れた顔で自分の部屋に入り、服も脱がずにベッドに横になった。ロスミナ
と父親への嫉妬が腹の底を熱くしている。隣の部屋の物音を聞きつけてクウィホアが続き
扉からチューケンの部屋に入ってきた。

「ケン、ホアブウィが死んだよ。あのニャイがこの家で後任を務める準備が整ったわけだ
わ。そうでしょ?」
と言いながらチューケンが寝そべっているベッドの縁に腰を下ろす。

「そんなことになるかどうかは、これから起こること次第だ。」
と怒ったような口調でチューケンが答える。
「ホアブウィが自殺したのは主人の乱行のせいであり、主人が殺したようなものだ、と警
察に訴え出たらどう?」
「考えとくよ。」
「なんでそんなにご機嫌が悪いの、ケン?」
「義母さん、俺は眠いんだよ。寝させてくれないか。」
取り付く島のない隠し夫の様子に、クウィホアは諦めて自分の部屋に戻った。チューケン
はぐっすり眠りこんだ。[ 続く ]