「トランスミグラシ(7)」(2025年07月27日)

コロニス村ではクローブとコーヒーの栽培に力が注がれた。時の歩みとともにそれらの木
々が豊かに繁っていくありさまを実感しながら、移住者たちの心には少しずつその土地へ
の愛着が育って行った。おまけに自分たちの食糧として栽培した稲や野菜、果実や穀物類
も豊かに稔り、移住者たちの需要を満たしたうえに近隣の地元民に販売することもできる
ようになった。こうして、1960年から1990年までの30年間、コロニス村は大い
に発展し、住民人口も増加した。


ジャワ人のランプン州への移住は、州内の地名にジャワ語名称がたくさん見られることや
ランプンの文化の中にジャワ由来のものが含まれるといった現象を引き起こした。たとえ
ばタンガムス県ウォノソボ郡カリサリ村の道路沿いの空き地でルバランの5日目に開かれ
たSeni Langen KudakencanaとSintreng Pirantiのショーだ。

この二つの芸能の発案者兼育成者は72歳のチョクロディアルジョさんだ。かれは仲間と
共同でクダルンピン芸能を1957年にランプンに移植した。シントレンピランティも2
001年にかれが創作した。それを演じる踊り手とガムラン奏者はカリサリ村とそれを取
り巻く村々の愛好者で構成されている。この地域も1921年ごろから始まったコロニサ
シでジャワ人移住者が住み着いた土地だ。

スニラグンクダクンチョノはジャワの伝統芸能であるKuda Lumpingの一分流とされている。
クダルンピンはkuda kepang, jaran kepang, jaranan, jathilanなどと地方によってさま
ざまな名称で呼ばれている民俗芸能で、元々は騎馬兵を模したものだったが、複数の踊り
手が音楽に合わせて踊っているうちにトランス状態になり、ガラスの破片を食べたり、身
体を傷つけたりする様子をショーとして観客に見せるものだ。

ジャワのシントレンはsintrenと綴られて語尾が鼻音にならないが、ランプンのものは語
尾が鼻音で綴られている。ジャワのシントレンも未婚の娘がトランス状態で踊り唄うショ
ーだ。しかしランプンのシントレンを動画で見てみると、数人の女性ダンサーが男性観客
を舞台に上げて一緒に踊り、祝儀を胸の谷間に差し込んでもらうタユブ芸能のように見え
る。ともあれ、タユブもジャワの芸能だから、その点については違いがない。


ウォノソボ郡シリンブティッ村の住民ダルマントさん66歳はクロンチョンバンドを指導
している。クロンチョンを演奏したい者を集めてバンドを作り、それを指導するのだ。希
望者はジャワ人移住者の家族だけでなく地元民もたくさんやってくる。ベテラングループ
であるブガムラティのメンバーにもランプン人がちらほらと混じっている。ギター・バイ
オリン・チェロ・クンダン・バス・スミリンなどの楽器を演奏しながら、メンバーはジャ
ワ語の歌詞でクロンチョンを唄う。

シリンブティッ村のランプン人住民であるアブドゥ・ライスさん45歳は、ワヤンクリの
上演を見るのがたいへん好きだと語っている。「ワヤンクリには歴史的な価値があるので
好きですよ。でも言葉が難しいので、見るときはお年寄りの近くに座るようにしてます。
お年寄りがいろいろ教えてくれるんですよ。」

かれはお年寄りという言葉を言うのにジャワ語のsimbahを使った。ジャワ人のお年寄りを
意図しているのが明らかだ。


ランプンの地元民は外来者を受け入れるのにあまり閉鎖的でないようだ。ジャワ人入植者
とランプンの地元民は同じような農業を行っている。地元民はジャワ人から水田耕作の方
法を学び、ジャワ人は地元民からコーヒー・コショウ・カカオ・果樹の栽培を学んで、双
方が同じような活動をしている。

移住したジャワ人の子供たちは生活領域を近隣の地元民の村まで広げるから、大人になっ
たときにジャワ人とランプン人が結婚することも起こる。そのようにして人種的な同化が
進展し、文化が混じり合う。芸能ももちろん文化のひとつなのである。[ 続く ]