「母の日に想う(前)」(2025年08月05日) ライター: 米国オハイオ州マザーアースナーチャー、ビントロ・グナディ ソース: 2004年12月20日付けコンパス紙 "Mother's Day" わたしの記憶では、インドネシアの母の日は毎年12月22日の決まった日に祝われてい た。米国やカナダではインドネシアと違って、5月の第二日曜日に盛大に祝われている。 母の日が異なる時期に祝われていても、その中心に置かれているのは全く同一の、母親の 貢献に敬意を表し、それを記念することなのである。 外国には父の日もあって、毎年6月の第三日曜日がその日に当たる。多分インドネシアで はあまりポピュラーでないだろう。 グリーティングカード会社のホールマークがミレニアムイヤーを祝うために西暦2000 年に市場調査を行った。そして母の日と父の日のグリーティングカードの売れ行きを比較 してみたところ、われわれの想像通りの、母の日を祝うカードの販売が圧倒的に大きかっ た。その中で、われわれを驚かせる内容が明らかにされた。 いくつかの刑務所やリハビリセンターで行われた調査からは、父の日にグリーティングカ ードが一枚も送られていないことが判明したのである。一方の母の日にはあふれんばかり の量のカードが発送されていた。いずれの日にもそれらのグリーティングカードは無料で 提供され、しかも送料までが無償になっていたというのに。 その現象が示しているものはいったい何だったのだろうか?言うまでもなく、父親の子供 教育の誤りが子供をそんな境遇に陥れ、子供が父親への親近感を失ってしまったからだな どという結論をただそんな現象だけから引き出すには無理がある。 たとえそうではあっても、母と子の関係は父と子の関係よりもはるかに密着したものであ る実態を否定することはできない。「天国は母親の足の裏にある」ということわざがイン ドネシアにある。一般論として言うなら、子供を養育する母親の役割は父親がしているこ とよりもはるかに多忙なものだ。大人であればだれもがそれを真実と認めるだろう。 チャールズ・ダーウィンの自然淘汰説をフェニミズム信奉者たちはシニカルに批判した。 母親たちが子育ての本能に従って絶えず子供の養育に忙しく邁進しているにもかかわらず、 手の数も増えなければ男より強い手を持つ母親も出現しないのはなぜなのか? テイヤール・ド シャルダンの進化論に関する理論によれば、人間の進化は単にビオスフィ ア(生物圏)におけるものにとどまらず、ヌースフィア(精神圏)をも包含するものであ り、その前段階にズースフィア(動物圏)がある。プリミティブな自然本能から人間とし ての精神性への飛躍はズースフィアからの進化として起こったものだそうだ。 < 子供の養育 > 母親の子育てにとって、手の数や手の力強さといった要素はメインファクターにならない。 母性本能が持つ意識の発展が次世代を育むための、より重要な要素なのだ。妊娠から授乳 に至るプロセスが緊密な母子関係の始まりを形成する。授乳は母体の骨格にカルシウム不 足をもたらし、老齢になったとき骨粗鬆症を引き起こす。ある書物にはこんなことが書か れていた。 たとえ没した母の骨が見た目にくすんでいて、父の骨のような白い輝きを持っていなかっ たからといって、母を忘れてはならない。父の骨にはカルシウムがたっぷりと含まれてい るのだから。 父親の役割を低く見なすということでなく、母親の自己犠牲と尽力をわれわれは尊いもの と位置付けて母の日を祝うのが当然の姿勢ではないだろうか。自然界は母と子の親密な関 係を物語るたくさんの実例に満ちている。特に哺乳動物においてそれが顕著だ。人間を包 括している哺乳動物は、授乳や子供の世話を母親がする。コウモリ・クジラ・牛・猫・サ ル・・・子供を養育する本能は母親のほうが強い。 鳥類は授乳しないものの、ほとんどすべての種類の鳥は母鳥のほうが卵を長時間抱いて孵 化させ、生まれた子鳥をかいがいしく世話している。潟に住む鳥の中には、まだ小さい子 鳥が捕食者に狙われたとき、母鳥が自分の身を投げ出して死んだふりをし、捕食者の関心 を自分の方に引き寄せて子供を助けようとするものもいる。子供を生かすために自分の生 命を犠牲にしようとするのである。[ 続く ]