「火の玉サッカー」(2025年08月07日)

インドネシアの各種族はユニークな伝統ゲームを持っている。その多くは各種族が催す祭
典や儀式の中で、お楽しみ編として行われるのが普通だ。

その由来の中には、たとえば王宮警護兵を採用するにあたって、武器を持ったひとりひと
りを対決させ、勝ち残った者を迎え入れることが昔は行われた。そうなると、負けた者は
生命を落とすか後遺障害者になる運命をたどることになる。時代が下るにつれてその残酷
さへの批判が強まり、よりスポーティな内容に変えて希望者をゲームで競わせ、そこで身
体運動の能力を見分ける形への変化が起こり、死んだり障害者になる道が避けられるよう
になった。

たとえばバリ島にはmajangkrik-jangkrikanというゲームがある。ガムラン音楽隊が楽器
を演奏しながらjangkrik kipaの歌を唄う。その伴奏の中で、一対一の対戦が行われる。
対戦者は片脚を後ろに折って、もう一方の脚だけで立つ。地面に引かれた円形のリングの
中で、ふたりは片脚でぴょんぴょん飛び跳ねながら相手にぶつかって行って、相手を地面
に倒すのである。折り曲げた脚が地面に着いたら負けだ。

ゴロンタロ州でtepa tonggoと呼ばれているゲームは籐を球形に編んだボールを使って行
うサッカーだ。これはチームで対戦するものになる。ただしユニークなことに、このゲー
ムは全員がしゃがんだ姿勢で行わなければならない。立ち上がれば失格だ。そんな姿勢で
ボールを相手のゴールに入れると得点になる。プレーヤーたちはゴロンタロの伝統衣装を
着てそのゲームを行うのである。地面に転がって、身体でボールを押すようなプレーが起
こると、観客は大笑いしながら喝采を送る。

中部ジャワのマタラム地方には、同じサッカーゲームだが火の玉ボールを使って夜中に行
われるものがある。これはラマダン月恒例の余興になっていて、特にイドゥルフィトリ前
夜のタクビランの夜に青年たちが繰り広げるお遊びだ。ソロのガルソプロ地区でも行われ
るし、またヨグヤカルタ州バントゥル県ウィジレジョ村のカウマンモスクの表広場でもよ
く行われる。カウマンモスクは15世紀に建てられたとされている。

ボールはヤシの実に灯油を振りかけて焼いたものを使ったり、ガニサックを灯油に浸けて
おいて、それを針金で球形にしたものに火をつけて使ったりする。ゲームが終わるまで火
が消えてはならないのだ。

燃えているボールがキックオフされると、それを受けた仲間はすぐに別の仲間にパスしな
ければならない。長くキープすると靴や足が炎で焼かれる。灯油が跳ねてズボンや服に火
が移ることも起こる。火が移ったらすぐに叩いて消さなければならない。

火の玉ボールを使うこのゲームでシリアスな事故が起こったことはまだないそうだ。安全
対策班がいて、プレーヤーが自分で消せない火をかれらが消してくれる。水に濡らしたガ
ニサックで火を覆うだけだ。


火の玉サッカーの他にもタクビランの夜に行われる遊びがある。普通の紐跳び遊びなのだ
が、紐の中ほどに灯油を浸したガニサックが取り付けられてこれも火が使われる。

火を使うショーを行う者もいる。灯油を口に含み、それを手にした松明に噴霧する。ある
いはクプタルンと呼ばれるもの。紐の両端に小さい火の玉ボールが付いたものを片手で振
り回す。すると2個の火の玉が風車のように回転する。

小さい子供たちはlong bumbungで遊ぶ。これは竹筒を使って大きな爆発音を出す遊びだ。
火の玉紐跳び遊びをよく行う若者は、何度も髪の毛を焼いたと体験談を語る。
「その夜は何とも感じないんだけど、翌日になると痛むよ。」
今18歳のかれは、5歳のときから火の玉紐跳びを始めたそうだ。

断食月が終わった夜、かれらは誘惑に負けずに清廉な日々を送った勝利の快感に包まれる。
その歓びが火で表現されるのだ。火は勝利のシンボルなのである。

翌日、ひとびとは盛装してモスクの表に集まり、供されるグライカンビンを食べながら、
前庭で演じられている踊りを見物する。