「デリのニャイ(48)」(2025年08月07日) チューケンとロスミナを警察に引き渡すために自分たちが借りたタクシーに乗せたから、 車内はぎゅうぎゅう詰め。ロスミナはテッの膝の上に載せられた。三人の女の子はテッが ロスミナを連れてタクシーに入って来たとき、みんな顔をそむけた。そしてそのあと、何 もしゃべらなくなった。三人の青年たちはそれに不審を抱かなかったようだ。 タクシーはメダン警察署に乗りつけ、三人の青年はチューケンとロスミナを警察に引き渡 した。警察はチューケンを拘留したが、ロスミナはメダンの町を離れないように言われて 釈放された。 チューケンがテッたちに捕まったとき、チューケンが財産を詰め込んだバッグをロスミナ は抱え込んだ。ロスミナはそのおかげでデリでナンバーワンの金持ちニャイになったので ある。チューケンは徹底的にロスミナに裏切られたわけだ。チューケンはその財産を当面 ロスミナの手に預けておこうと考えた。拘留された者の所有物として警察に保管させても、 中身がいつまでも無事である保証はないのだから。 さてロスミナはどうしたか?騎士道精神の横溢したテッはロスミナに尋ねた。 「ニャイ、どこへ送って行こうか?」 「あたしには行くあてがひとつもないから、あたしの命の恩人の女中にでもなって恩返し をしたいのです。ババ、どうかあたしをそばに置いてくれませんか?」 「いや、そりゃまずい。」 と最初は断ったものの、ロスミナがいつまでもねだるものだから、女の願いを拒むのも騎 士道精神にそぐわないと思ったのだろう。ついに首を縦に振った。こうして男三人所帯の 陋屋に天女が舞い降りてきたのだが、まるで鶏小屋のような家に長居をする気はロスミナ になかった。ロスミナはテッを口説いてもっと良い借家を探し、エンマストラートにある 家を借りた。その費用はすべてロスミナが負担した。その家で暮らすための家具調度類を 購入する代金のすべてもロスミナが抱えたバッグから支払われた。 その家は決して大きなお屋敷ではないものの、寝室数は十分足りたからロスミナはテッの 友人ふたりも一緒に住むように誘った。しかしいくら男の友情があるとはいえ、ふたりは 当然その申し出に遠慮した。テッが自分のニャイを持って新婚生活に入るというのに、そ こに一緒に住もうと考える友人などいないだろう。 テッの新生活は甘いものになった。美しく可愛いニャイが自分の世話をしてくれるのだか らこんなに甘い生活は他にない。テッはロスミナを愛したが、生活の費用はロスミナの持 っているバッグから支出された。テッは男の甲斐性を示そうとして仕事を探したにもかか わらず、なかなかいい仕事が見つからない。おまけにロスミナがテッの職探しにあまりい い顔をしなかったから、かれの心中に自責の念が立ち昇るようになった。 そのとどめを刺したのが、性ない市井の噂話だった。殺人犯にかどわかされた美人のニャ イを助けた男がそのヒモになった、という噂話をかれが耳にしたのである。テッは自分の 頭をかきむしった。 数日間、深刻な顔で考えにふけったテッはある日、ロスミナに何も言わないでその借家を 出るとメダン駅からブラワン港行きの列車に乗った。そしてバタヴィアに帰ってしまった のである。ロスミナは自分を守ってくれていたババに捨てられたことになる。 どんな理由であれ、そしてまたその男への愛情がどんなレベルだったにせよ、男に捨てら れた女の心は悲しみで満たされる。その悲しみを癒すのは忘却しかないだろう。それを忘 れるために別の男からの愛を求めるようになるのではないか。[ 続く ]