「デリのニャイ(49)」(2025年08月08日) その悲しみに打ちのめされて、ロスミナは食事も喉を通らず、夜も熟睡できないような毎 日になった。そんなロスミナを見ている男の目があった。 テッがエンマストラートに借りた家の家主はチェティだった。cetiとは南インドの原住民 種族で、東南アジアに移住して都市部で金貸しや女衒などの商売をして金持ちになってい る。かれらの性質は非情酷薄で、自分が金を得るために他人を欺くのは当たり前のことで あり、それで他人が悲惨な目に会おうとも憐憫の情など一滴も持ち合わせていないという のがチェティを取り巻いている地元種族のチェティ評だ。 チェティはたいてい、いったいどこに隠してあるのかわからないほどの金を短時間に用意 してくる連中であり、どんなできごとが起ころうが、その金が問題を解決してしまう。 南インドの原住民はインドネシアで普通kelingと呼ばれており、チェティをクリンと呼ん でも間違いにはならないようだが、普段見せている外見がまるで異なっている。チェティ は上着やズボンを履くことを好まず、腹から腿までを白布の手巾を巻いて覆い、頭は丸坊 主で額にプパラムを付け、胸にウコンを貼っている。 毎月1日に家賃を払うので、ロスミナはやってきた家主のチェティに金を払った。ロスミ ナのババがもうその家にいないことを知っているチェティはロスミナの気を引こうとして 立ち話をはじめた。 「ニャイはご気分がすぐれないようだが、身体の具合が良くないのかな。」 自分に興味を示す男に話しかけられたから、ロスミナはうれしくなった。 「あたしのババがバタヴィアに帰っちゃったんですよ。こんなときにトゥビンティンギの 裁判所が事件の証言を求めてあたしに出頭を命じて来たの。これが憂鬱でなくてなんでし ょう。」 「わあ、そりゃ大変だ。それを軽く考えてはいけませんぞ、ニャイ。弁護士を雇って裁判 で不利な判決が下されるのを防がなきゃ。わしがいつも使っている弁護士はとても優秀な 人間で、あまり金に欲を出さないから、その弁護士を雇いなさい。」 ロスミナは心の中で大喜びした。この親切な家主が自分の味方になってくれる。ババがい なくなって心細い日々を送っている自分を助けてくれるんだ。 「あたしはただの女で法律のことに暗いから、チェティがあたしを手伝ってくれるんだっ たら、あたしは感謝感激です。」 「ああ、店子が困っていたら手を貸すのが家主の務めだし、こんなことはわしにとって何 でもない仕事だ。ニャイが暗い顔で暮らしているのを見ると、わしは可哀そうでしかたな い。あんたの明るい顔を見るほうがしあわせだ。じゃあ、ちょっと弁護士のところへ行っ てきますよ。」 チェティはそう言ってロスミナの家から出て行った。弁護士のところへその話を持ち込む と、事件の内容をはっきり教えてもらわないと法廷で腕が振るえないから、まずその話を 教えてくれと頼まれた。チェティはまたロスミナの家に戻った。 弁護士に事件の内容を教えないといけないとチェティが言うので、ロスミナはチェティを 家の中に入れた。色黒で不格好な中年男のチェティを男としてロスミナが気に入ったわけ では決してない。しかし、逆境に陥った自分に優しく親切にしてくれる人間としてロスミ ナがそれに報いようという気を起こしたのも、決して不思議なことでもない。ロスミナも チェティに多少のお愛想を示そうとした。 「チェティ、お食事は?あたしの料理がお口に合うかしら。」 「わしゃあ、何でも食べるよ。ましてやニャイが作る料理だったら美味しいに決まってる。 わしゃあ果報者だなあ。」 [ 続く ]