「キョーイクママ(後)」(2025年08月11日) < 女性と教育 > 日本の文化教育と子供の教育のシステムは他の諸国をはるかに凌駕して、子供を養育する 中で女性が全面的に行っているように見える。だからこそ、家庭のマネージャーであると 同時に民族の子供たちを養育する役割を果たす女性の地位の中に良妻賢母原則が維持され ているのだ。その思想は日本人のマインドセットの一部と化し、昔から世代を超えて教育 にとっての鍵の役割を果たしてきた。そして20世紀後半に日本女性の家庭運営の役割の 中で教育ママとして花開いたのである。トニー・ディッケンシーツはそれを「純粋に日本 的な現象」と形容した。 その開花を実現させたものは日本の母親たち自身の自覚である。母親たちは自分でその判 断を下したのだ。つまりは、将来に国民として、リーダーとして、勤労者としての業績を 築く子供たちの育成という評価を社会が下したということになる。日本女性の多くは子供 を生き甲斐、人生におけるエッセンシャルラショナル、と見なしている。 日本女性のほとんどは高等学校を終えたあと大学に進む。西洋では高学歴の女性が家で育 児だけするのを能力の浪費だと考えている。しかし日本では、子供を教育する役割を果た すために母親は優れた教育を受け十分な学識を持つべきだと信じられている。母親が収入 を得るために働く場合でも、子供が学校から帰って来たときに家にいられるよう、パート タイムの仕事をする。食べ物を子供に用意するばかりでなく、子供が宿題をしてそれを完 全に自分の知識にするのを手伝い、あるいは義務教育にもっと広がりを持たせるために個 人レッスンを受けさせて母親がそれに付き添うのである。 < 国家経済を扶助する > 日本の女性は国家経済の発展を学術面と社会面というふたつのアスペクトで扶助している。 日本人にとって社会教育はアカデミック教育と同じくらい重要なことなのだ。なぜならそ れは社会秩序の安定を保証する個々人の態度振舞いを文化に備わっている価値観と合致さ せるために子供の魂にその価値観が浸透するよう子供を習慣付けることだからだ。 教育ママが安定した家族生活を築く能力を持っていることを思えば、学校が生徒の規律訓 練にあまり深入りしないこともうなずける。だから学校教師は十分な時間と落ち着きを持 って生徒に知識・技能・素朴さ・自己犠牲・協調・伝統などの日本の価値観を教えること ができる。 トニー・ディッケンシーツによれば、米国のケースに比べて日本の学校生徒たちは最初か ら学校の活動により深く関わっている。日本の学校の登校日数はだいたい243日で、米 国は178日だ。日本のほうが2カ月ほど長く学校に通い、おまけに休みも学校の教師や 級友たちと活動することが多い。日本の会社員が会社に献身するように、子供たちは学校 に献身している。学校生活の目的のひとつが勤労生活への準備であると考えるなら、日本 の学校児童生徒は社会人になるトレーニング段階にあると見ることもできるだろう。 日本の教育システムの目的は日本政府が定めているとはいえ、その成否は教育現場で仕事 をしているひとびとに深く負っている。その大部分が学校教師であるにせよ、少なくとも 初等教育においては日本の女性たち、すなわち教育ママの存在もそこに関わりを持ってい るのだ。児童教育への貢献を通して、かれらが日本の未来を形成するのである。 メキシコで日本娘が2007年のミスユニバースに選ばれた祝賀で日本社会が湧きたって いるとき、そのできごとは特定の女性だけに向けられた賞賛であって日本女性の優しさや 業績に向けられたものではないという日本の母親たちの批判が報道された。その批判は教 育ママの心情が吐露されたものにまちがいあるまい。そのニュースはすぐに消えてしまっ たから、何らかの反響を起こすほど大きなものにならなかった。とはいえ、深まるばかり の闇の中で一片の真情の光はどんな小さいものでも大きな意味を持っている。[ 完 ]