「教育の質と文化(後)」(2025年08月15日)

別の図柄として、教員の学士号取得がある。教育クオリティの向上努力の一環で、まだ学
士号を持っていない教員のアカデミック資格を高めることが望まれている。学士になるこ
とによって教員は思考・視野・授業メソッド・問題把握・プロブレム分析と解決などの能
力が高まると期待されている。それが教育クオリティを向上させることになる。

そこに発生したチャンスを高等教育機関と教員が我が物にしているように見える。たくさ
んの大学が最少の受講回数で修業を保証するという生煮えの学士課程プログラムを用意し
ているのである。

現場では、1スメスターに2回講義を受けただけで試験に合格した教員がいる。それどこ
ろか、一度も講義に出たことがないにもかかわらず、期末試験で高得点を得た教員もいる。
他にも、遠隔教育だけ受けてキャンパスを訪れたこともない教員が卒業証書をもらってい
るし、講義に出席する意志を持っていない者まで卒業できているのだ。

その結果、小学校・中学校・普通科高校・技術科高校の教員の多くは形式的に学士資格の
証書を持っているにもかかわらず、実質的な知識や視野の拡大に至っていない。

< 規則違反 >
そのような形式主義文化とは別の領域においても、わが国の教育に関する文化問題はたく
さん存在している。規則を守らない。学校運営者としての教育文化省とマドラサ運営者と
しての宗教省間に見られるような教育機関運営者同士の反目。プロフェッショナリズムよ
りも年功序列を重視する校長その他役職者の任命。

教育の世界で起こる規則違反は小さいものから大きいものまである。教師は教え子を学校
の中でも家にいても24時間態勢で指導するべきだ。これは不文律だ。ところが教員は国
家公務員であり、週40時間勤務が明文化されている。現実はどうなっているのか?いま、
教員の多くは自分の生徒を週に数時間、時間割の中で自分が担当する時間だけケアしてい
る。それも教室の中だけに限定される。その時間から外れた時間をそんなことに費やす義
務はないと思っている。

大きな規則違反としては、1945年憲法と2003年法律第20号が定めている、中央
政府と地方政府は予算の20%以上を教育予算に充当させること、という条文が守られて
いない。中央政府までもが規則違反を犯し、たいていの地方政府もそれを見倣っているの
だ。県令と数千人の教員および生徒が関わった、リアウ州カンパル県で起こった事件は教
育予算に関する規則違反と決して無縁でない。

教員から国家指導者までもが教育の世界で行っている規則違反は教育プロセスそのものに
悪い結果をもたらす。教育というものは単に生徒学生のインテリジェンスを発展させるこ
とのみならず、姿勢・価値観・規律・誠実さ・スポーツマンシップ等々をも育むことを含
んでいるのだ。何の畏怖心もなく規則に違反するようなお手本が満ち溢れている環境で姿
勢や規律などの美徳を教育しても良い結果を得るのは難しいだろう。

わが国の教育における文化イシューはたいへん複雑だが、その解決を図っていかなければ
国民教育の成果を向上させることは不可能だ。[ 完 ]