「スラユ渓谷鉄道(1)」(2025年08月18日) ジャワ島でヒンドゥ=ブッダ時代から聖地とされていたディエン高原は海抜2,000〜2,590 メートルの高地にある。東にシンドロとスンビンの両火山、西にロジョジュンバガン峰、 そして北と南を高地に囲まれた盆地がディエン高原だ。南の壁の一部を成しているビスモ 山をまっすぐ12.5キロ南下するとWonosoboの町に至る。ウォノソボはディポヌゴロ戦 争のとき、ディポヌゴロ軍にとって重要な基地になっていた。 ウォノソボの町を首府に戴くウォノソボ県に水源を発するSerayu川はバンジャルヌガラ〜 プルバリンガ〜バニュマス〜チラチャップの諸県を経てインド洋に注ぐ全長およそ3百キ ロの大河であり、プルウォクルトからバンジャルヌガラを経てウォノソボに至る街道がス ラユ川に沿ってできている。 その街道はウォノソボを越えると約30キロ東に離れたパラアンParakanを通過してトゥ マングンの町に至り、トゥマングンを出てからアンバラワ〜マグラン街道につながる。 そのスラユ渓谷沿いの街道に並行してオランダ時代、プルウォクルトとウォノソボを結ん で鉄道が走っていた。そのルートに鉄道を建設して列車を運行させていたのは民間会社の Serajoedal Stoomtram Maatschappijだ。スラユダルというのはオランダ語でスラユ渓谷 を意味している。この鉄道会社はSDSという略称で呼ばれていた。 資本金150万フルデンで設立されたスラユダル蒸気鉄道会社SDSは、1894年4月2 4日付けで東インド政庁から鉄道事業のコンセッションが下りたため、さっそくマオス〜 東プルウォクルト間に路線を建設して1896年7月16日に列車の運行を開始した。こ の路線は続いて同年12月5日にソカラジャまで延ばされ、最終的に1917年6月7日 にウォノソボに達した。 この鉄道経営はプルウォクルト、カリバゴル、カリマナ、ボジョン、クランポッの製糖工 場が生産する砂糖の輸送を主目的に置き、同時に沿線一帯で生産されている茶・シナモン ・タバコ葉の積出をも視野に入れて組み立てられたものだった。 マオスまで運ばれた貨物はヨグヤカルタ〜チラチャップ路線にリレーされてチラチャップ 港に運ばれ、港にやって来る大型船でヨーロッパに船積みされていた。 イ〜ア語ウィキペディアによれば、SDSの路線建設の詳細は次のようになっている。 [マオス〜東プルウォクルト] 区間距離29キロ、開通日1896年7月16日 1943年、日本軍によって線路が運び去られた [東プルウォクルト〜ソカラジャ] 区間距離9キロ、開通日1896年12月5日 [ソカラジャ〜プルワレジャ] 区間距離16キロ、開通日1897年7月2日 [プルワレジャ〜バンジャルヌガラ] 区間距離30キロ、開通日1898年5月18日 [プルワレジャ〜カンディス] 区間距離7キロ、開通日1898年7月16日 [バンジャルヌガラ〜スロクロモ] 区間距離19キロ、開通日1916年5月1日 [スロクロモ〜ウォノソボ] 区間距離14キロ、開通日1917年6月7日 [バンジャルサリ〜プルバリンガ] 区間距離7キロ、開通日1900年7月1日 バンジャルサリ駅はソカラジャからプルワレジャに向かう路線の最初の駅だ。[ 続く ]