「スラユ渓谷鉄道(2)」(2025年08月19日) チルボン〜クロヤ路線を運行させることになった国有鉄道会社Staatsspoorwegen(SS)はプ ルウォクルトの町を通ってクロヤに向かう鉄道を建設した。最終区間のパトゥグラン〜ク ロヤ間工事が終わって1916年7月1日に運行が開始された後、SSはウォノソボに向か う貨客の便宜を図って2キロ近く離れているSSプルウォクルト駅とSDS東プルウォクルト 駅間に連絡線を設けた。 SDSのプルウォクルト〜マオス間の鉄路が日本軍に持って行かれたためにプルウォクルト からチラチャップ〜ヨグヤカルタ路線につながる線路はクロヤで接続するSSのものだけに なった。インドネシア国鉄が現在も使っているのがそのルートだ。 プルウォクルトからクロヤに向かう途中にクバセンKebasen駅がある。この駅の少し北に 現在も使われている、山の下をくぐるクバセントンネルがある。このトンネルを掘ったの はSSで、1915年に開通した。SDSのマオスに向かう線路はその隣にあったそうだ。 クバセントンネルはスラユ川と15メートルほど離れている。SDSはその山とスラユ川の 間に鉄道を通した。そのためにSSはトンネルを掘らざるを得なくなったということらしい。 皮肉なことに、日本軍はSDSの線路を撤去したために、そのおかげでトンネルをくぐる鉄 路が残った。 2019年にはチルボン〜クロヤ路線の複線化工事が行われ、SSが掘った単線トンネルの 東側に複線トンネルが新たに設けられた。インドネシア国鉄が現在使っているプルウォク ルト〜クロヤの間にはノトッ〜クバセン〜ランデガンの三駅がある。 SDSもSSも、プルウォクルトからクバセンまでほぼ同じルートを通り、SDSはクバセンから マオスに向かったが、もう一方のSSはクバセンからクロヤを目指した。プルウォクルト〜 クバセン間はだれがどう見ても、無駄をしていると思えたにちがいあるまい。 コンパス紙が2015年にウォノソボ〜マオス鉄道路線の取材を行い、バニュマス県クバ セン郡マンディランチャン村に住むワルソノさん59歳にインタビューした。ワルソノの 自宅は鉄道がスラユ川を渡る鉄橋の近くにある。この鉄橋はSDSが作ったものであり、今 は使われていない。SDSが建設したマオス〜ウォノソボ路線は119.2キロの長さだ。 そのほとんどはスラユ川のすぐそばを通った。 またその途中のバンジャルサリ駅からプルバリンガまで6.5キロの支線を設けてプルバ リンガと本線をつないだ。1896年から1943年までSDSは列車運行を続けた。 ワルソノはその鉄橋に関する自分の記憶を記者に語った。自分がまだ小さかったころ、1 960年代にその鉄橋には枕木がまだ残っていた。そのころ、鉄橋は赤いペンキで塗られ ていたので、みんなはジュンバタンメラと呼んでいた。今、鉄橋は灰色に塗られていて、 故事を知らない人にジュンバタンメラと言っても通じない。 そんな話の途中で、近くに座っていたワルソノの父親スマルヨさんが突然口を開いた。自 分の年齢をはっきり知らないスマルヨは少なくとも90歳台になっている。 「わたしゃマンディランチャンからマオスまでSDSに乗ったことがある。切符代は高かっ たよ。2センも取られた。」 プリブミが乗るのは三等車であり、三等料金が一番安い。その2センはかれが農産物を収 穫してノトッ市場で売った収入であり、真ん中に穴の開いているコインが2個だった。老 人は「切符が高かった」を繰り返した。スマルヨが列車に乗ったのは間違いなく1943 年以前の時期だから、この地方では植民地時代の金銭が流通していたのだ。 1943年に日本軍がマオス〜東プルウォクルト間29キロの線路を撤去したため、マン ディランチャン村を通る線路がなくなった。マオス〜スレンパン〜サンパン〜ガンバルサ リ〜マンディランチャン〜パティッラジャ〜カラングデの7駅が東プルウォクルトまでに 設けられていた。鉄橋があるのはマンディランチャンとパティッラジャの間だ。 老人はその鉄橋が日本軍の爆弾で破壊され、オランダ人が来て修理したと語った。それが 日本軍のジャワ島占領前の話なのか後の話なのかは誰にもわからない。[ 続く ]