「印尼華人差別(7)」(2025年08月18日)

オランダ人がヌサンタラの土地を自分のものにして土地と住民を支配するようになったと
き、オランダ人支配者のための住民管理行政が始まった。ところがヌサンタラに住んでい
る人間の中には、人種的に見て原住民・アジア系外国人・ヨーロッパ系外国人がいるのだ。

原住民は支配者がどのように扱っても外交問題にならないが、在留外国人に対してはそう
はいかない。なぜなら外国人は自分の祖国を持っており、オランダ人が統治する熱帯の土
地で不当な行政措置を受けたと祖国に訴え出れば、オランダ本国に外交問題の火の粉が降
りかかるおそれがある。

だからオランダ東インド政庁が1854年政府規則でオランダ東インド社会の構成員を、 
Europeanen(ヨーロッパ人 )、Vreemde Oosterlingen(東洋人在留者)、Inlander(ネ
イティブ)の三カテゴリーに区分したのは理にかなった行為だったとわたしは見ている。

東洋人在留者というのは、アジア系非プリブミ居留者という意味だ。実務上で華人・イン
ド人・アラブ人・ムラユ人が東洋人在留者のカテゴリーに入れられたそうだが、それは外
来者一世並びに父系主義に基づく子孫についての話だろう。五世・六世から十世くらいの
混血子孫の場合、しかもその5〜6世代の間にヨーロッパ人の血統が家系図に混じったと
き、その子孫である本人はどの区分に属すことになるのだろうか?先に触れた、混血者の
人種区分の問題がここにも出現するのではあるまいか?

そうなると、自己申告および普段の生活スタイルを勘案して役人が決めるという便法が取
られた可能性が推測されるとはいえ、誰がどう見ても身体的特徴が東アジア風である人間
が自分はプリブミだと主張し、また完ぺきにプリブミ暮らしをしている事実が客観的に立
証されたとしても、果たして判定係の役人がその者をプリブミに区分し得たかどうかは疑
問に思われる。他人を見た目で決めつける人間は決して少なくないのだから、そんな上司
に詰問されたらその役人の将来がどうなるか分かったものではない。


人種差別を常識とするオランダ人は、オランダ領東インドに住む三カテゴリーの人間が就
くべき生業まで決めた。オランダの支配下にあるヌサンタラの社会を運営するための、オ
ランダにとってもっとも好都合なひとつの規範的秩序をかれらが作ったということになる
のだろう。インランダーの就くべき仕事は水田や農園の作業者あるいは漁民、ヨーロッパ
人にふさわしい仕事は農園のオフィスで働くこと、東洋人在留者は商業やサービス業がふ
さわしい。特に華人はワルンや商店を営業するのが適切だ。実際にインランダーには手仕
事レベルの軽工業をも行わせたが、それは農業漁業に発生する閑期に行うべき仕事を与え
るためでもあった。

東洋人在留者に農業や漁業をさせないようにしたのは、外国人である在留者が土地や水上
の権利に関わるのを避けるためだったのではないかという解釈もできる。自営農民や漁民
には耕作や漁労のエリアを確保する権利が発生するはずであり、いくら所有権でないとは
いえ、外国人にそのような権利を持たせることも論外になっていたのではなかったろうか。
しかし原理原則とは無関係に、農民漁民になって何世代も生きてきた華人がインドネシア
には大勢いる。

それはそれとして、ヌサンタラのどこの田舎へ行こうが、日常生活必需品を売っている大
型ワルンはトコチナというのが常識になっていた。米・スパイス・砂糖・塩・茶・コーヒ
ー・料理油・薪から炭に至るまで、家庭で消費されるありとあらゆる品物がそこで販売さ
れた。台所にある薪の炉は火力を強めたり火が消えないようにするために火吹き竹が使わ
れていたそうだ。ジャカルタで台所に石油コンロが入るようになったのは1960年代だ
った。

そればかりか、トコチナで釘・鋸・斧・ペンキまで買うことができた。ただし釘のような
尖った物は夕方になると店頭からしまわれるために買えなくなるので、夕方までに買いに
行かなければならなかったという古老の話もある。大型店は主人である頭家がプリブミク
ーリーを雇って力仕事をさせながら店を切り盛りしたが、パサル近辺にあるような小さい
店は短パンにランニングシャツ姿の頭家が自ら汗を流して働いていた。[ 続く ]