「印尼華人差別(10)」(2025年08月21日) オランダ植民地体制下にインドネシアの民族主義運動が高まりを示し始めたとき、その観 念はその名の通り自己の民族種族に焦点を当てたレーシズムの傾向を帯びるのが自然の理 だった。しかし想定されているインドネシア共和国の国民が持つであろう複合性が民族主 義よりも国家主義にその観念を傾かせた。その結果インドネシア民族という非人種的でし かも政治的である概念が築かれたのである。インドネシア民族とは多様な種族が寄り集ま ってビンネカトゥンガルイカの状態にあるものを指している。決して人類学的な種族民族 なのではない。 インドネシア民族がインドネシア国民を形成するとき、アチェからパプアまでのさまざま な文化の子供たちである数百の種族がその多様性を維持しながらインドネシア国民という 単一の層を構成するのである。それがビンネカトゥンガルイカという国是の意味している 内容だ。そのロジックの中には、インドネシアで生まれインドネシアで生涯を送るアジア 系非プリブミも含まれることになる。 スカルノはインドネシアの民族主義がレーシズムに傾かないようにするために、そこに大 量の愛国主義を注入した。「われわれにとってインドネシアはわれわれの心の中に存在し ているあらゆる感情のトータルなのだ。われわれを闘争に導き、粉骨砕身の努力を払わせ、 犠牲を厭わず、潔く絞首台に登り、何十年も大ジャングルの中に捨てられることさえ顧み ないようにわれわれを駆る、すべての感情を具現するものなのだ。」 だからインドネシアの民族主義においては、同種同族の人間を仲間あるいは同胞と見なす 意識を海と陸地が織りなす国土に方向転換させ、その国土に生きている人間を、たとえ文 化や姿かたちに違いがある人間であっても、お互いに同胞だと見なす感覚を持たせること が主眼に置かれた。 オルバレジームが崩れ去り、レフォルマシ時代が到来してから、インドネシアのネーショ ンあるいはナショナリティという言葉の定義が建国時のものに戻された。国籍を証明する 公的書類がインドネシア人であるかないかを決めるのでなく、インドネシアの国土に生ま れ、この国土を愛し、そしてそこで生涯を終える人間がインドネシア人なのだという本質 的な定義が再確認されたのだ。 もちろん法治行政の中でそんな観念をそのまま使うわけにはいかない。公的には証明書に 従わざるをえないという状況に変わりないわけだが、行政行為の根底に据えるべき思想と しての定義付けがオルバ期に比べてはるかにヒューマニスティックなものになったのは明 らかだ。そして華人プラナカンという層がものの見事にその定義に合致していることにわ れわれは気付かされるのである。 プラムディヤ・アナンタ・トゥルは著書「インドネシアの華僑」の中にこう書いた。 かれらはわれわれの先祖の時代からインドネシアにいた。本当はかれらもインドネシア人 なのだ。インドネシアで生まれ、そしてインドネシアに骨を埋めたのだから。ところが政 治の幕が張られたとたんにかれらは異邦人になった。同邦である異邦人に。 インドネシア民族がビンネカトゥンガルイカという属性を持っているのであれば、華人系 プラナカン国民はプリブミ国民と同じようになる必要などないはずだ。かれらはあるがま まの自分という姿でビンネカのひとつになるだけなのだから。[ 続く ]