「印尼華人差別(11)」(2025年08月22日)

1945年8月17日に独立宣言をしたインドネシア共和国はその発足のときから国民の
定義を出生地主義原理においた。1946年法律第3号に、インドネシアで生まれた者と
その子孫はインドネシア国民であると謳われている。インドネシアで生まれた華人プラナ
カンは自動的にインドネシア国民になった。

しかしオランダ植民地体制の中で外国人とされた華人プラナカン層の中に、オランダ人が
行った定義付けの方を思考基盤の根底にしみ込ませてしまった者も少なくなかったようだ。

自分が帰属する国は父祖の地であるという意識のほうが、自分が生まれ育った郷土への愛
着よりも強い者がたくさんいた。かれらはオランダ東インドの政治状況に興味を抱かず、
反対に中国大陸の政治状況に強い関心を抱き、東インドで起こった民族主義運動に対して
はマジョリティにおいてノンポリ姿勢を執ったのである。中華会館運動に見られるように、

かれらは自らを漢民族であり儒教の民であると規定して、中華文化を軸にする華人コミュ
ニティを形成し、プチナンを中国のエクスクレイヴにした。
中華会館運動については、「印尼華人の実像」をご参照ください。
http://omdoyok.web.fc2.com/Kawan/Kawan-NishiShourou/Kawan-102_InneKajinnoJitsuzo.pdf


初期のころやってきた華人新客一世はプリブミ女性を妻にせざるを得なかった。その意味
から、インドネシアの華人プラナカン層はすべて混血者であると言えるだろう。その時期
の子孫の中には、地元文化の子である母親の生活習慣や郷土への愛着、あるいは母方親族
との交際により強く引かれた子孫が出たはずだ。そしてその精神に地元への同化が起これ
ば華人の血筋が混じっているにもかかわらずそれを認識していないプリブミが作られるよ
うになる。中華を自分のアイデンティティにしない混血者だ。華人人口算定専門家の計算
の中にそんな人間が本当に数えられていないだろうか?

何世代もの歳月を経て華人プラナカン人口が増加してくれば混血娘の人口も増加するため
に、そうなったあとで移住してきた華人新客一世は中華文化の女性を妻にすることができ
るようになった。そのあとはプチナンの中で中華文化の純化がおのずと進展して行くだろ
う。中華会館運動がそれを示している。

プリブミ文化との混血者でありながら中国文化をびっしりと身にまとい、プラナカン同士
がパサルムラユ語で会話する中に中国語の単語を混ぜ込むインテリ風華人がそのひとつの
極のカリカチュアとされた。反対にプリブミ文化に全身を溶け込ませた者がジャワ人以上
のジャワ人だとジャワ人に言われるようなことも起こった。

その風俗情景はわたしに、オランダ系プラナカンが行っていたこととそっくりではないか
という印象をもたらしてくれる。父親の人種が何であれ、子供たちの中に母親とその一族
をより身近に感じる者が必ず出現したはずだ。父系主義は人間の心が持っている自由選択
を抑圧する思想なのだろうか?


さて、中華主義を信奉する華人プラナカン層が自ら選択した姿勢がかれらを取り巻くプリ
ブミ層の目にどのように映ったかは問うまでもないだろう。先に挙げた華人批判が生まれ
る原因の中にこの要素が混じりこんでいないはずがないのだ。オルバ期に書かれた華人プ
ラナカン同化政策に関する論説の中に、このようなことが記されている。

華人国民は問題であり、国家にとっての脅威であると見られている。なぜかと言えば、オ
ルラ期にかれらはインドネシアよりも中華人民共和国へのロイヤルティを強く抱く傾向を
示したからだ。かれらに政治運動の空間が与えられたとき、かれらのロイヤルティは中国
に向けられて共産主義運動を活発化させた。そればかりか、かれらは愛国的でなくインド
ネシアへのナショナリズムも低く、閉鎖的であり、おまけに国家経済のマジョリティを握
っている。インドネシアにとって受け入れにくい存在だ。

かれらをもっと受け入れやすい存在に変えるためには、個人生活の領域でインドネシアに
同化するようにかれらを導く必要がある。イスラム教徒になり、プリブミと結婚し、プリ
ブミの生活に溶け込んでいくようにすることで、かれらは容易にインドネシアの一部にな
ることができる。・・・・[ 続く ]