「ソロのレールバス(3)」(2025年08月23日)

1830年からファン デン ボシュの栽培制度がヌサンタラの広範な地域で実施され、サ
トウキビ栽培もその一つとして大きな発展を示した。ところが、オランダ人がフォルステ
ンランデンと呼んだソロとジョクジャの王国領に植民地政庁は強制栽培制度を持ち込むこ
とをしなかった。

だからと言って、王国領の肥沃な土地を遊ばせておく手はないのである。そのために王国
領内で借地を使ってサトウキビ栽培が行われ、物資運搬のために王国領内に鉄道線路が敷
かれることになった。インドネシアの鉄道史の黎明はジャワ島中部のその地方で始まった
のである。

借地と砂糖生産のおかげで19世紀後半のソロは経済的に大きな繁栄を示し、交通の便が
大きく向上したために経済と文化の両面で時代の最先端を行く先進地域にのしあがった。


1867年にインドネシアで最初の鉄道が、スマランとグロボガン県タングンを結んで開
通し、1870年にはソロまで線路が延長された。クラテンには1871年、ジョクジャ
には1887年に鉄道が開通した。

砂糖生産者にとって鉄道の便宜は大きい利益をもたらすものになった。輸出港であるスマ
ランに製品を送るスピードが速まって、効率の向上が売上金額を大きくすることに貢献し
た。サトウキビ農園と製糖工場の経営者は誰もが自分の借地にまで鉄道網が延びて来るこ
とを望み、また自分の経営している農園と工場間に軽便鉄道を走らせて砂糖生産のスピー
ドアップを図った。

その生産プロセスに石灰岩が必要になったとき、かれらは石灰岩の産地と砂糖の産地を鉄
道で結ぶことを求めたのである。1922年、ソロコタとウォノギリを結んで鉄道が走り
始めた。ウォノギリの石灰岩が品薄になるにつれて、鉄道はもっと南にある産地へと延び
て行き、行き着いた果てがバトゥレッノだったというわけだ。


ガジャムンクルダムはジャワ島最長の川であるブ~ガワンソロに作られた。そのアイデア
は1941年にマンクヌゴロ王宮の公共事業長官が既に表明していたものの、実現までに
長い歳月が経過してしまった。1970年代になってやっとプロジェクトが着手され、現
場での工事がスタートしたのは1976年だった。

ガジャムンクルの名前は西側にあるガジャムンクル山系から採られたものだ。このダムは
7郡の土地9千1百Haを水の底に沈めることになった。工事が完成したのは1981年で、
その年の11月17日にスハルト大統領がオープニングを宣した。

工事の進展との兼ね合いで、バトゥレッノ〜ウォノギリ間の列車運行は1978年4月3
0日が最終日となった。オランダ時代から連綿と運び続けてきた石灰岩はソロ一円で行わ
れている製糖産業に重要な役割を果たしてきた。オランダ時代の黄金期から衰退してしま
ったとはいえ、タシッマドゥ、ゴンダンバル、チョロマドゥ、モジョの製糖工場で生産さ
れる砂糖のために、バトゥレッノから1975年は22,539トン、1976年には2
1,470トン、1977年9,310トンを運び出していた鉄道はついにその役目を終
えることになった。


コンパス紙は2015年にウォノギリ以南の廃線になった鉄道線路の調査を行い、廃駅に
なったバトゥレッノ駅にたどり着いた。そこまで足を運ぶためにはダムの東側を迂回しな
ければならなかったそうだ。

バトゥレッノの町のほぼ中心部に位置している駅舎は現在、商店や住居として使われてい
る。バトゥレッノ駅舎の近くに昔から住んでいた住民のひとりは、1966年ごろに大洪
水があって鉄橋がいくつも破壊され、汽車が通れなくなったと語っていた。汽車がバトゥ
レッノまでやってこない時期がしばしば起こっていたのかもしれない。[ 続く ]