「閉じなかったループ(前)」(2025年08月25日)

ソロ〜ウォノギリ〜バトゥレッノ線が設けられるよりずっと以前に、ソロから直線距離で
およそ80キロ東方に離れたマディウンから南のポノロゴ〜スラフンに向かう路線が建設
された。

マディウン〜ポノロゴ32キロ区間、ポノロゴからスラフンまでの17キロ区間が開通し
てオープニング式典が行われたのは1907年だった。ポノロゴからは7キロ西方のスモ
ロトに分岐する支線が延び、更にもっと西方のバドゥガンまで達した。面白いことに、バ
ドゥガンに鉄道列車がやってきたのは1922年だった。バトゥレッノ駅のオープニング
とあまり違わない。

当時のオランダ人鉄道関係者はジャワ島南部の開発を目的にして、壮大な鉄道網の建設を
考えていたようだ。1902年3月8日付けの国有鉄道会社Staatsspoorwegen(SS)の文書
には、トゥルンガグンからチャンプルダラッを経由してトゥグまでの全長34キロ区間に
線路を敷設し、それをスラフンまで延ばすと共にバドゥガンとバトゥレッノをつないでふ
たつの環状線路をジャワ島中央部に設ける構想が記されている。

詳説するなら、その環状ルートのひとつは:
*ソロ〜マディウン〜ポノロゴ〜バドゥガン〜バトゥレッノ〜ウォノギリ〜ソロ、
もうひとつは:
*マディウン〜クルトソノ〜クディリ〜トゥルンガグン〜トゥグ〜スラフン〜ポノロゴ〜
マディウン
というループだ。

だがオランダ時代に実現したのは一部分が分断されたループでしかなかった。
*ソロ〜マディウン〜ポノロゴ〜バドゥガン≠バトゥレッノ〜ウォノギリ〜ソロ
*マディウン〜クルトソノ〜クディリ〜トゥルンガグン〜トゥグ≠スラフン〜ポノロゴ〜
マディウン

それが実現しなかったのは1930年代に世界を襲った大不況が原因であり、それさえな
ければジャワ島南部の経済開発に大きな進歩が起こっていただろうと現代インドネシア人
はコメントしている。

だからと言って、世界不況下に鉄道建設工事が全面的に停止したわけでもない。マンガラ
イやクロヤの鉄道駅舎はその時期に建設された。ただまあ、節約を強いられた時節だった
だけに、オランダ人がジャワ島に建てたメイン鉄道駅舎が一般的に持っている優雅で豪壮
なデザインは期待するべくもなかった。シンプルで機能本位なデザインが使われ、停車場
の屋根は鉄骨や金属装飾など皆無な、木造のものになっていた。

しかしながら、今のインドネシア国鉄はマディウンからポノロゴに南下する路線とトゥル
ンガグンから一旦南下して西方のトゥグに向かう路線の運行を、線路の有無とは関係なく
採算の問題をメインの理由にして運行していない。ウォノギリ〜バトゥレッノ線が廃線に
なったことは先の「ソロのレールバス」の中で解説した通りだ。


ジャワ島南部の開発を鉄道で行うアイデアは既に過去のものになってしまった感がある。
オランダ人はジャワの鉄道建設を、乗客運送よりも物資輸送を最大の目的として行った印
象が強く、農業生産や林産あるいは鉱物資源が豊富でありさえすれば鉄道建設投資を厭わ
なかったように見える。だから鉄道利用人口の乏しいジャワ島南部の高原山岳地帯にも線
路を敷いたのだ。

現代インドネシアの物資輸送は既に鉄道離れを起こしていて、大動脈路であるジャカルタ
〜スラバヤ間の物資輸送ですら大半がトラックによる陸上輸送に頼っている。鉄道を使っ
ても二次輸送が発生するために経済効率がトラックの長距離輸送に負けてしまい、鉄道は
乗客運送で採算を取るしか経営手段がなくなっているようにわたしには見える。[ 続く ]