「印尼華人差別(16)」(2025年08月27日)

「わたしは今32歳で、結婚して子供が3人います。でもうちの家族はだれひとりKTPも
持っていないし、出生証書もありません。婚姻証書だってないんですよ。」西ジャカルタ
市カリドラス郡トゥガラルルの住民だというその華人系の女性はコンパス紙のインタビュ
ーに応じてそう話した。記者が名前を尋ねると、かの女は拒否した。自分の一家が蒙って
いる差別をあけすけに新聞に訴えたことがわかると、ますますひどい差別を受けるかもし
れないという不安がその理由だった。

KTPも出生証書もないと言うのに、不思議なことにKK(家族証明書)だけは持っていた。か
の女の家族が公的書類を何ひとつ持っていないことを気の毒に思ったRT(隣組長)が持っ
てきてくれたのだそうだ。ただしKKに書かれている名前は中華名でなくてインドネシア名
になっていた。名前だけは違っていても、住所や本人データは正確に書かれている。
今からニ十年近く前まではそのようなことが起こり得たが、現在のKK発行システムはKTP
と連動しているために起こり得ない。人情が行政手続きの隙間を埋めることができた時代
の話だろう。

そんな時代、華人の多くはKTPやKKを作るのにインドネシア名を使い、多額の徴収金を支
払って手に入れていた。KTPの発行は国民に対する国家の義務であり、手続きは無料が原
則になっている。だが無料で発行する町役場はなく、寄付を求めるのが習慣になっていた。
目の細い市民が来れば、要求される寄付金額の桁が変わった。これも昔の話だ。

その時代に、華人プラナカン家庭で老人が逝去すると、死亡証明書を発行してもらうのに
SBKRIが要求された。また有名な宗教系女子高の入学に際しても、華人系生徒の入学手続
きにSBKRIが提出書類の中に含まれていた。2000年代前半のころの話だ。

行政機構上層部は華人系プラナカン国民の復権に最大限の配慮を示しているにもかかわら
ず、イミグレーション現場機関から町役場や郡役所のレベルではオルバ時代から大して変
わっていないのが実情だと華人プラナカン層は印象を語っている。


2002年にそんな華人差別をあからさまに示す事件が起こった。ガルッの町中で薬局を
営んでいる華人プラナカンのアチュン56歳が1998年に闇金融を始めたのが事の発端
だった。アチュンは知り合いに誰彼かまわず声をかけた。「金をわたしに預けないか?毎
月10%の利子を付けるよ。」

アチュンは薬局の店舗を改装するための資金を求めていた。公的金融機関からの借入が難
しかったことが推察される。妥当な担保なしに希望する金額を借りるのは無理な話だ。か
れのオファーは知り合いたちに大歓迎され、たくさんの人が預金者になった。中には銀行
から金を借りてアチュンに預けた人もいた。そのころ銀行貸付金の金利率は年20〜25
%くらいだったから、毎月8%くらい儲かることになる。

2002年には預金者が2百人に達した。預金額は最低のひとが2百万ルピア、最大預金
者は1億ルピア。預金者の7割が軍人と警察、残りは一般市民。元々アチュンの薬局商売
の客は軍人と警察官が多かった。アチュンは医師の処方箋が不可欠なGカテゴリー(劇薬)
の医薬品を違法販売していたのだ。その違法行為を保護してもらうためにかれは軍隊と警
察の不良分子と関係を持っていた。それら不良分子にとってアチュンは重要な資金源にな
っていたのである。

闇金融預金者の多くは、毎月の利子を受け取りに行かなかった。置いておけば利子に利子
が付くはずなのだから。アチュンの闇金融商売は2002年に入って行き詰まりを呈し始
めた。1月に金利が払えなくなり、更に元本を引き出そうとする預金者の要求に応じられ
なくなった。[ 続く ]