「JKT−BDGエクスプレス(2)」(2025年08月28日)

BOSを買収したSSはその事業構想の中にあった穀倉地帯のカラワン地方で産する米と家畜
を集めてバタヴィアに輸送する計画を実行に移し、北東の海岸部まで広がる低地水田地帯
の中にあるルンガスデンクロッ、ワダス、チラマヤの町々をバタヴィア〜カラワン〜チカ
ンペッ〜プルワカルタ〜パダラランという本線につなぐための支線を建設した。地図上で
この支線はW字形になっていたので、W路線とも呼ばれた。各区間の運行開始は次の通り。

1909年7月1日 Cikampek - Cilamaya 28KM 
1912年6月15日 Cikampek - Wadas 16KM
1919年6月15日 Karawang - Lamaran - Kobokkarim - Rengasdengklok 21KM
1920年2月9日 Lamaran - Wadas 15KM

それらの支線は軌道幅が600ミリというミニチュア版だった。バタヴィア〜カラワン間
の本線は最初から1067ミリのゲージが使われている。


コンパス紙はこの支線が1973年まで使われたと書いている一方、イ_ア語ウィキペデ
ィアは1981および1984年が閉鎖年であるとしている。コンパス紙に掲載された、
閉鎖された鉄道路線の現状を探るルポ記事には次のような内容が物語られていた。

ルンガスデンクロッ駅舎は1980年代に取り壊されて完全に姿を消し、今はそこにパサ
ルの建物が建てられて賑わっている。鉄路は撤去されて何も残っていないとはいえ、鉄路
の跡地を見ればそこに線路が通っていたことが十分推測できた。駅舎があった場所からあ
まり遠くない位置に鉄橋があり、鉄橋近くに住んでいる住民が思い出話を記者に語ってく
れた。

1973年に閉鎖される前の1970年代初め頃にその女性は何度かカラワンまで往復し
たことがある。列車は3両編成で、燃料は薪や炭を使っていた。走行中に機関士が炉をか
き混ぜると火の粉が飛び散り、客車に乗っている乗客の服が焼けて穴だらけになったそう
だ。

カラワン駅に支線が入って来る辺りは住宅密集地区に変化していて、線路の跡は探しよう
がない。しかし蒸気機関車用の貯水槽がいまだにその姿を保っており、支線を走るミニ機
関車がそこで給水を行っていたことが推測できる。

ワダスとチラマヤの駅舎は建物を見出すことができた。ワダス駅は在来市場の中にあって、
市場の施設として使われていた。チラマヤ駅舎は住宅密集地区の端に位置しており、地元
民がそこで事業を行っていた。チラマヤ駅舎のそばに住んでいる壮年の男性は、木造の客
車は座席が対面スタイルのベンチだったと記者に話しくれた。ジャカルタ〜バンドゥン鉄
道路線に話に戻そう。


バタヴィアからバンドゥンへ行くための路線としての便宜を比較するなら、バイテンゾル
フ経由の南回り路線はバタヴィア〜バイテンゾルフがNIS社、バイテンゾルフ〜バンドゥ
ンはSS社という乗り換えが発生するのに対して、カラワン経由の北回り路線は最初からSS
社が一貫して列車を運行したから、運ばれる乗客にしても貨物にしても、はるかに便利だ
ったはずだ。それも多分ひとつの原因になったのだろう。SSは1913年にNISからバタ
ヴィア〜バイテンゾルフ路線を買収している。[ 続く ]