「JKT−BDGエクスプレス(4)」(2025年08月30日)

1971年7月31日から、今や伝説となったパラヒヤ~ガン号のジャカルタ〜バンドゥ
ン路線運行が始まった。この列車はジャカルタのガンビル駅とバンドゥン駅の間169KM
を4時間3分かけて踏破するエクスプレス列車であり、客車はエグゼクティブクラスとビ
ジネスクラスに分かれていて、エコノミークラスは含まれていなかった。このエクスプレ
ス列車の途中の停車駅は6駅あった。
Gambir - Jatinegara - Bekasi - Karawang - Cikampek - Purwakarta - Cimahi - Bandung

パラヒヤ~ガンという言葉はスンダ種族の祖先の霊が宿るスンダの山岳地帯を指している。
一説では、スンダ語でpa-rah-hyang-anという語構成になっていて、場所を指す名詞形接
辞pa-an(インドネシア語ではpe-an)にrah(インドネシア語roh)とhyang(サンスクリ
ット語で神を意味する)を合成したものがはさまれている形式だそうだ。スンダ語にも霊
界を指すhiangという語がある。
また別に、pa-anにrahyangがはさまれたものという説もある。この言葉を名前に使ってい
る現代インドネシア人もいるのだが、語源的にそれが一語であるのかどうかはよく分から
ない。
プリア~ガンPrianganという言葉はパラヒヤ~ガンの方言であるとイ_ア語ウィキペディア
は解説している。オランダ人はそのプリア~ガンという言葉を元にして作ったプリアンゲ
ルPreanger(現代オランダ語発音ではプリアンガー)をオランダ語文の中で使うようにな
った。

わたしも1970年代にこの列車を利用したことがある。上述したプルワカルタ〜パダラ
ラン間にある長大な鉄橋を通過したのは間違いないと思われるものの、わたしの記憶には
なにも残っていない。記憶の中に浮かび上がって来るのは停車駅に近付いて速度を緩めた
ときに窓外に見えた住宅街や犬のいる道路の風景と、投石する者がいるから窓に接近しな
いほうがいいという連れからの忠告だった。そのとき、わたしは会社のイ_ア人先輩と一
緒にバンドゥンへの出張途上にあった。
その先輩はわたしをジャカルタコタ駅に連れて行き、そこからパラヒヤガン号に乗ったよ
うな記憶になっているというのに、今ネット情報を探るとパラヒヤガン号の始発駅はガン
ビルと記されているものばかりだ。わたし自身はガンビル駅から列車に乗った体験を一度
も持っていないと思っているのだが、人間の記憶も経年変化を避けることは難しいのだろ
う。

昔のインドネシアでは鉄道沿線住民が行う列車への投石事件がひんぱんに起こり、乗客の
中に死者が出ることもあった。古い鉄道列車の写真を見ると、運転席の窓ガラスの外に金
網が貼られているものを目にすることがある。言うまでなくそれは投石対策だが、客車の
窓ガラスにそこまでの措置を行う余裕は国鉄側になかった。
投石があれば国鉄は警察と共に現場を捜査し、沿線住民の証言を集めて犯人を割り出すこ
とを行っていた。しかしlempar batu sembunyi tanganのことわざ通り、物的証拠はまっ
たく手に入らないのだから、心証だけでは犯人を有罪にできない。それでも国鉄は何年も
何年もそれを実行し続けて、沿線住民の中の野蛮な心を持つ者たちに人間としてあるべき
姿を教育した。捜査という法律行為よりも社会教育という趣のほうが強かったのかもしれ
ない。

1980年代に入ってからジャカルタ〜バンドゥン間を往来するひとびとの間でパラヒヤ
ガン号が人気の的になり、最盛期には機関車が14両の客車を引いて走ることも起こった。
しかし2003年にチカンペッ〜プルワカルタ〜パダララン間の自動車専用道が開通して
からパラヒヤガン号利用者は激減し、2005年にはわずか5両の客車が連結されるだけ
になったそうだ。[ 続く ]