「印尼華人の受難(3)」(2025年09月03日) インドネシア共産党は中華人民共和国とのつながりよりもコミンテルンとの関りのほうが はるかに強かった。その発足時に活躍したのがオランダ人スネーフリートであり、東イン ドの白人プラナカンの中にそれに協力する者もいた。しかしプリブミインドネシア人が党 中央指導部をにぎり、民族主義運動への傾倒が深まるにつれて白人プラナカンの姿も遠ざ かった。ましてや中華人民共和国の傀儡になるような様相も出現しなかった。 インドネシアに作られた共産主義の巣窟で目にする非プリブミは華人プラナカンばかりで 白人プラナカンの姿を目にすることがないという光景がどんな印象を世間に与えるかは容 易に想像がつく。インドネシア共産党を滅ぼすというシナリオが華人プラナカンを巻き込 む方向性はその時点で既に明白になっていたはずだ。 インドネシア共産党の壊滅とは、国軍による共産主義者の大量虐殺を意味している。イン ドネシアの共産主義者はそのイデオロギーを奉るプリブミ知識層と党員リクルートに乗せ られた貧困庶民層、そして非プリブミの華人系プラナカンで構成されているというイメー ジが世の中に流布していた。 レッドパージを行うに当たって国軍が対象者の目星をすでに付けていたとはいえ、村落部 庶民層の間にいる共産主義者を地元民に訴えさせることは重要な根拠になった。共産党と は何の関係も持っておらず、イデオロギーなどとは無縁であるにもかかわらず、村の誰か が「あいつは共産主義者だ」と軍人に耳打ちしただけで、村々で地元民に恨みや憎しみを 持たれているプリブミが闇の中に消えた。 華人系プラナカンは、主義主張とは関係なくただその身体的特徴だけで、国軍に協力する プリブミ民間人たちの槍玉にあげられた。G30S事件の後に行われた共産党員大粛清は 華人系プラナカンの生命を生死のはざまに追いやる舞台を提供したのである。 インドネシア共産党員と党支持者、またそれと見られる者、労働者階級の政党、労働者と 農民などが軍と軍に協力する民間人に殺され、あるいは収容所に送り込まれた。その嵐は 10月に中部ジャワ、11月東ジャワ、12月にバリで吹き荒れた。殺された者の数はま ったく闇の中に埋もれており、推測数値だけが宙空に浮かんでいる。少なくとも50〜1 00万人、あるいは2〜3百万人に上ると人は言う。10月からの半年間でどんなに小さ く見積もっても100万人は下らないだろうというのが感覚的な殺戮被害者数だ。収容所 に送り込まれて虐待を受けた者は少なくとも25万人はいたと見積もられている。196 9年時点で監獄に入れられている者は11万人いた。 インドネシアで発生した一大殺戮は国軍と右翼イスラム組織が一緒になって手を下した。 スラバヤに近いブランタス川下流地区では流れてきた死体で堰ができたという話が残され ている。 米国誌タイムの報道記事にはこんな文が書かれていた。 北スマトラではたいへんな規模の殺戮が行われたために深刻な衛生問題が起こっている。 湿った空気に乗って死体の腐臭が漂うのだ。地元のひとびとはわれわれに、小さい川は死 体のために堰ができ、水上交通が困難になっていると物語った。 一方、インドネシア共産党の拠点のひとつだったバリ島で、1966年初めごろまでに3 万5千人が殺された。処刑班を務めたのはインドネシア国民党のエリート治安組織タミン だった。 フランクフルター アルゲマイネ ツァイトゥン通信員は道端や掘穴に投げ捨てられている 死体のことや焼き討ちされた村で家の残骸から離れようとしない農民のことを話していた。 かれらは恐怖のために動けないでいるのだと言う。[ 続く ]