「印尼華人の受難(4)」(2025年09月04日) 地方によっては、疑惑を抱かれた者に自分の潔白を証明させるために仲間を殺させること が行われた。大きい都市では反中華の人種狩りが行われ、女が見つかればレープが待ち受 けていた。社会的な狂気の狂奔に抗議してストを行った公務員は解雇された。 数百万人という単なる推測でしかない数値にされた、殺されたり自由を奪われたインドネ シア国民の中で、華人プラナカン国民がどのくらいの数に上ったのかはもっと深い闇の中 に埋もれている。そのために、被害者がいたのかいなかったのかさえ分からないほどの曖 昧模糊さがこの事件と華人被害者の関りを見えにくいものにしている。 華人系国民のすべてが政治信条を共産主義に置いていたわけではない。だがインドネシア 共産党が中華人民共和国に支援されてインドネシアの国家転覆を図ったというプロパガン ダが流されるにおよんで、反感と憎悪はイデオロギーから人種へと容易に横滑りしていっ た。ある国ある民族がインドネシア共和国を転覆させて国家を乗っ取るために行ったのが G30S事件であるという解説が国民全般にとって受け入れられやすいものになっていた のである。 その殺戮の嵐から逃れるために、華人系住民の一部は国外への脱出を余儀なくされた。外 国にコネを持たないひとびとは中華人民共和国に逃れるしかない。ところが父祖の地であ る中国での生活も脱出者たちに幸福をもたらしてくれなかった。話に聞いたことしかない 父祖の地、言葉の十分通じない、そして習慣も人情もまるで異なる社会にいきなり投げ込 まれ、それまでしたこともない仕事に就かされて生きて行かねばならない。幸福な暮らし をそこで営めと言うほうが無理だろう。 中国政府は脱出者たちを中国南部の農村地区に入れた。田舎の村で国有地を与えられ、農 耕生活を命じられたのだ。中国は何世紀も前から北高南低になり、南部地方は文化面も経 済面も低級地方とされていた。特に悲惨だったのは華人プラナカンの妻になったプリブミ 女性たちだった。夫もたいがい異邦人扱いされたが、妻たちは決定的な異邦人にされた。 それまでインドネシアで事業を営み資産を築いていたかれらが突然すべてを失い、異郷の 地で経験のない仕事を命じられ、貧困の真っただ中に落ち込んだのである。 国家存亡の危急を鎮圧して秩序回復をなしとげたスハルトのオルバレジームは、中華人民 共和国と国交を断絶し、華人系プラナカン国民の存在を否定した。オルバ政府にとって、 国民の中に中華人民共和国とつながっている者がいてはならないのである。 たとえ中華文化の切れ端であっても、華人系プラナカン国民が中華文化を国内で示すなら、 それは反国家の臭いをかき立てることになる。なぜならかれらは本質的な理論においてイ ンドネシア国民になっていたからだ。そのために中国を連想させるあらゆるものごとに規 制がかけられた。 公共スペースでの漢字の掲示、漢字の印刷物、中国の伝統文化が定めている祭事、公共ス ペースでの中国祭祀、華人系の集会、政治運動、芸能上演その他もろもろの禁止事項が法 規で定められた。 華人系プラナカン国民は生活文化の面でインドネシア国民の中に溶け込まなければならな いのだ。そのために華人系プラナカンはインドネシア名を作り、華人コミュニティでの暮 らしでは従来からの中華名、公的生活の場面ではインドネシア名という使い分けを行うよ うになった。 植民地時代から行われていた華人コミュニティ内の中華教育も全面的に禁止され、中華学 校はすべて閉鎖されて、子弟には国民一律のインドネシアカリキュラムによる教育が与え られた。それがオルバレジームの採った同化政策だった。[ 続く ]