「イブ(1)」(2025年09月09日) 母を意味するインドネシア語はibuだ。KBBIは「ある者を産んだ女性」という語義を イブという言葉に与えている。他にも、夫を持った女性を指すのに使われ、あるいは夫の 有無に関係なく善良な女性に対する敬意のこもった呼びかけとして使われると解説してい る。さらに派生的用法として、根幹を形成する部分や他に比べて主要重要なものを指すと も記されている。その結果この語彙を使った熟語は日々、大量にインドネシア人の日常生 活の中で使われている。 ibu kota, ibu negeri, ibu jari, ibu kaki, ibu panah, ibu pasir, ibu sungai, ibu susu, ibu tangan, ibu tangga, ibu rumah tangga, ibu peri, ibu angkat, ibu tiri, ibu mertua, ibu kandung.....そしてibu pertiwi。いや、まだまだ他にもたくさんある にはあるのだ。 インドネシア文化の中に存在している感覚が根幹・主要・重要という暗意を母という言葉 に持たせたことを上の辞書の内容が示していると言えるだろう。それは世界にある多くの 文化にも見られるものだ。 親指のインドネシア語がibu jariというのは、中国語と似ているように思われる。手の指 の名称をインドネシア語と中国語で対照すると下のようになる。拇とibuの類似は偶然だ ろうか。日本人が拇を使わないで性別をぼやかしたことを日本文化が持っているジェンダ ー意識の反映と見るのは歪みだろうか?たとえ和語の意味が違っていても、中国文字をそ のまま当てはめて和語の読み方をさせることを日本人がまったくしなかっただろうか? ibu jari = 拇指 telunjuk = 食指 jari tengah = 中指 jari manis = 無名指 kelingking = 小指 親指に母のイメージをかぶせている言語は世界にどのくらいあるのだろう? イブプルティウィという言葉はインドネシア人にとっての祖国であるインドネシアの大地 を意味する言葉だ。自分の祖国を母国と呼ぶ用法は日本語にもあるが、祖国と母国は語法 に違いがあり、重なり合う共通部分と重ならない異義部分に分かれるために同義語として 扱うのが難しい。 プルティウィというのはヒンドゥ文化の中の大地の女神を指すサンスクリット語であり、 プルティウィマタという熟語の形で母なる大地を示す。この言葉は天空を支配する男神の ディオシュピトリと対をなす概念として登場する。ディオシュピトリは父なる天空を意味 している。 もしも天空が大地よりも高い位置付けになっているなら、父と母になぞらえたそのディコ トミーにもジェンダー差別の価値観が付随していることになりそうだ。ところがイブプル ティウィはインドネシアで独立孤高の概念になっていて、ayah/bapak langitという概念 は一般社会に流通していない。もちろん詩人がその対照概念を使うのは自由だが、世間一 般のインドネシア人にその言葉の意味を尋ねても、答えを得るのは難しいだろう。イブプ ルティウィであれば中学生でも即座にその意味を語ってくれるというのに。 だからイブプルティウィという言葉はサンスクリット語の直訳という解釈になるにちがい あるまい。ただしインド文化のように天空と大地という対照にはなっていない。それとは 別に、インドネシア語の祖国という言葉にはtanah airという熟語もあって、インドネシ アという国が海(水)と島々(土地)で構成されている実態を表しており、その場合の祖 国という言葉は明らかにインドネシア人にとってのものというエクスクルーシブな理解を するのが自然だろうという気がする。 だから大陸国である中国人やロシア人にインドネシア語であなたの祖国と言いたいときに タナアイルという言葉を使うのをわたしはついつい逡巡してしまうのだが、インドネシア 人はそんなことにはお構いなしに使っているようだ。[ 続く ]