「イブ(4)」(2025年09月12日)

インドネシアで有名な母系制社会であるミナンカバウには、女性が自らを誇るシンボルと
してBundo Kanduangという女性の元祖のプロトタイプが伝説の中に形成されている。ミナ
ンカバウ族を象徴するコンセプトが女性の姿で描かれているのだ。

ブンドはインドネシア語のbundaに該当し、ブンダとはibundaの短縮形でイブンダはイブ
の尊敬語である。カンドゥアンはインドネシア語のkandungに該当し、袋の意味が第一義
で、母体の子宮をも指すようになったようだ。日本語の「おふくろさん」の発想によく似
ている。

インドネシア語でibu kandungは生みの親(実母)を指す言葉だが、ミナンカバウ語のブ
ンドカンドゥアンは多分その意味をも踏まえているにせよ、用法が大きく違っている。ミ
ナンカバウ社会でブンドカンドゥアンと呼ばれる女性たちは特徴的な母系社会をリードし
維持している母を指している。そういう社会的な広がりが「実母」という言葉に包含され
ていると言えるだろう。ミナンの女性たちは一家を興して社会を運営する役割を担ってい
るのである。

母系制社会とは言えないスラウェシ島のブギス族が歴史の中で最初に興したゴワ王国の開
祖は天上界から遣わされた天女のひとりトゥマヌル~ガ リ タマラテだとブギスの伝説は
物語っている。

スンダが発祥と言われている稲の女神デウィ スリ ポハチや、各地に残された海の女神で
あるジャワのニャイ ロロ キドゥル、ロンボッのデウィ マンダリカ、アチェのプトリ ヒ
ジャウ、ブル島のイナ カブキたちも海洋の支配者と見られていた。この南洋の島々に生
きてきたひとびとの宇宙観の中で、女性は重要な位置を占め、高い地位を与えられて尊敬
されていたことがそれらの事実から推測される。


多能芸術家のレミ・シラドはこう書いている。
オーストロネシアの諸民族はたいへんに母権的な精神を持っていたために女性への尊重と
尊敬がその文化の中に色濃くにじんでいた。インドネシア語にibuを使った熟語が数多く
ある事実もそこに由来している。ところがインドネシアの外から入って来たさまざまな宗
教が女性を高く評価する社会を転倒させてしまった。それらの宗教を生んだ諸民族はすべ
てが父権的な社会だったからだ。

父権的な社会で生まれた宗教は思考の基盤に父権社会を支える条件を溶け込ませている。
その上に構築された宗教の体系が父権的になるのは当たり前のことだ。それらの宗教がイ
ンドネシアの社会に浸透すれば、必ず父権的な規範がその社会を律するようになる。社会
が持っていた古い価値観は新しい規範に従って再編成を余儀なくされるのである。


わたしがバリ島で暮らすようになってはじめて知ったバリ人の慣習の中に、結婚適齢期に
なった男子が好きな娘と同棲するというものがある。同棲と言うよりも、その家の息子が
妻にしたい娘を自宅に招いて両親と一緒に暮らすのである。われわれの感覚から言うなら、
結婚式も挙げずに結婚生活を開始するようなものだ。そして両親も息子の新婚生活に公然
と関わる。

結婚式は、その娘が妊娠すると行われる。もしも何年経っても妊娠しなければ、その娘は
実家に戻らなければならないだろう。ただまあ、その辺りの結論は杓子定規で計れるもの
でもあるまい。人間の情が決めることになるだろうから、両親が孫を抱くことを諦めれば、
そのまま続くかもしれないとも思うが、バリ人のメンタリティ傾向まではわたしには解ら
ない。ともあれそのような慣習の存在は、子供を産むことがいかに重要視されているかを
如実に物語るものと見ることもできる。要するにこの慣習は、母になる意思と能力を実証
して見せなければ妻になれないという意味を持っているということなのだろう。[ 続く ]