「イブ(6)」(2025年09月14日) インドネシアの母の日は毎年12月22日に祝われる。これは1928年のその日に女性 会議Kongres Perempuanがヨグヤカルタで開催されたのを記念してインドネシア政府が定 めたものだ。そのコングレスではジャワとスマトラの諸都市から30の女性団体が集まっ て大同団結し、コングレスプルンプアンという全国組織が設立された。女性の進歩発展を 目指すこの組織はそれ以来、インドネシアの民族運動にも関わることになった。 インドネシアの歴史の中にチュッ ニャッ ディン、チュッ ムティア、マルタ・クリステ ィナ・ティアハフ、RAカルティ二、デウィ・サルティカといった民族的英雄と呼べる女 性たちが登場している。20世紀に入ったオランダ東インドの女性たちは、それらの先人 の遺徳を受け継ぐべく、各地で思い思いに集まりを作り、諸分野で活動を行っていた。そ して各地にできた団体を全国的な横のつながりにまとめることが、1928年に実現した のである。 インドネシアの女性運動の草分けは1912年にバタヴィアで誕生したPoetri Mardikaだ った。その組織作りの際にはブディウトモが強力なバックアップを与えている。このプト ゥリマルディカという組織をリードしたのは貴族階層の知識人女性たちであり、女児への 教育推進と女性福祉の向上を主目的に据えていた。それに触発されて、各地各種族でも女 性の進歩発展を目指す知識人が核になって組織が作られていった。 そのコングレスプルンプアンという組織がインドネシア独立後にコングレスワニタという 名前に改称されたように思われる。20世紀後半の女性運動全国組織の活動は略称KOWANI (Kongres Wanita Indonesia)の名称で行われているのだ。イ_ア語ウィキペディアにも、 コングレスプルンプアンとコングレスワニタの二つの項が作られている。 これはひょっとしたら、日本軍がプルンプアンという単語の語感を破壊したという説に関 係している事例なのかもしれない。その説によれば、日本軍がジャワ島を占領した時代、 軍人兵士としてやってきた日本人たちは性欲処理のツールとして現地にいる女性を使おう とした。地元の伝統文化の中で敬愛されている女性はプルンプアンと呼ばれている。その 言葉に正・尊・雅・美、もっと大げさに言えば貴や聖といった語感が浸透するのも自然な ことだったにちがいあるまい。 ところが日本人は現地にいる女性の下半身だけを肥大化させて、それをプルンプアンとい う言葉で呼んだ。地元民の感情を逆撫でして十分な行為ではあるまいか。それはインドネ シア人の心理に激しい衝撃をもたらし、戦後もしばらくの間は知識人階層にトラウマを残 した。インドネシア人は穢されたプルンプアンという言葉を避けて別の言葉を求め、ワニ タを頻用するようになってプルンプアンという語彙の使用が減少した。上のコングレスの 名称の変化とその説の内容は十分合致しているように思われる。 日本で戦後、米兵を相手に売春を行う女性たちがパンパンという新しい言葉で呼ばれるよ うになった。パンパンという言葉の語源説のひとつがインドネシア語のプルンプアンだ。 ジャワ島から復員して来た軍人兵士たちがジャワ島で体験したプルンプアンという言葉を 日本に戻ってから隠語として使うようになった可能性は決して小さくないとわたしは考え る。かれらにとってプルンプアンという言葉は慰安婦・娼婦を意味していた。インドネシ ア人がその言葉に感じていた貴や聖のニュアンスなどかけらも持ち合わせていなかったこ とは言うに及ぶまい。 ジャワ島経験者が使う隠語のプルンプアンが何を指しているかは、インドネシア語を知ら ない人間にもそのうちに判ってくる。ジャワ島経験者の口から発せられるプルンプアンと いう音がインドネシア語を知らない者の耳にパンパンと聞こえた可能性も十分に推察でき る気がする。 この文脈において、パンパンの語源がプルンプアンであるという説は納得しやすいものの ように感じられる。このできごとは異文化の接触が言語の持っている暗意に衝撃を与えた ひとつの例として特筆されるべきものではないかとわたしは思っている。[ 続く ]