「イブ(7)」(2025年09月15日)

プルンプアンという言葉は正・尊・優などの語感を持つインドネシア語empuから作られた
派生語であり、必然的にプルンプアンという言葉はそんな語感で彩られることになった。
女性を指すのにこの言葉が用いられたこと自体からして、この文化内にいた女性たちが社
会からどう見られていたかということを証明するものと捉えることも可能だろう。

プルンプアンという言葉を言語面から分析した拙著「プルンプアン(全9回)」もご参考
いただけるかもしれません。
https://indojoho.ciao.jp/2019/0520_1.htm
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ところで、インドネシア人が行った女性運動の発端がどうして母の日と結び付けられたの
だろうか?これこそが、インドネシアの伝統文化が持っている「女性≒母」を象徴するよ
うな実例だろうという気がわたしにはするのである。いや、もっと言うなら「女性≒妻≒
母」という三位一体の民族的な観念だ。

インドネシア共和国政府は1959年12月16日付けの大統領決定書第316号で母の
日を定め、スカルノ大統領がそれにサインした。スカルノの女性観の中にも、インドネシ
アの伝統が脈々と波打っていたようだ。

スカルノの女性観は当時の社会風潮に対して先進的であり、男女同権と女性パワーの活用
を民族独立および国家建設の中で行うことをモットーにしていたそうだ。それはそれとし
て「女性≒母」という民族的観念に焦点を当てるなら、女性コングレス記念日に母の日と
いう概念を当てはめることをオーソライズしたのがスカルノであるという事実から、かれ
の先進性の限界がその辺りだったのではないかという解釈もできるにちがいない。言うま
でもなくそれは時代に応じた先進性なのであり、一足飛びに50年も100年も先の時代
の先進性を現時代の中で示せば狂人扱いされるのが人類というものだろう。

スカルノの時代は民族闘争期〜国家基盤建設期であり、女性のプライベートライフを云々
する時代にまだなっていない。ひとりひとりの女性が自分の人生をどうするかということ
は自分の生活基盤である国家社会の確立と安定を基本条件に置かねばならないはずだ。そ
の基本条件を整える真っただ中の時代に、「母にならない」という女性の自由や権利云々
に国家指導者が耳を傾けられるわけがないようにわたしには思われる。


スカルノの後を受けてインドネシアに経済開発時代をもたらしたスハルトはジャワ文化の
中にあった「女性≒妻≒母」の三位一体観念をインドネシアの国家方針の中に縫い込んだ。
オルバ政権は国民行政の中でさまざまな法規や制度を設けて妻という概念をイデオロギー
に高めたのである。

家庭福祉育成方針略称PKKのモデル作りを行い、ダルマワニタと名付けられた組織がそ
れを草の根庶民の家庭に普及振興させた。1970年代初期に作られて国家方針大綱の中
にまで織り込まれたこのイデオロギーによれば、女性は5つの機能(パンチャダルマワニ
タ)を持っており、国家のためにその義務を果たさなければならない。
1.夫に付き添う
2.家政を担う
3.子孫を作り子供を教育する
4.家族の収入を増やす
5.国民社会の構成員になる

オルバのパンチャダルマワニタはスカルノ時代に男女同権を目指す運動を積極的に行って
いたインドネシア女性運動Gerwaniに対する否定政策の趣を持っていた。グルワニの組織
内でインドネシア共産党寄りの一派が共闘路線を踏んでいたために、G30S事件の絡み
で組織全体が粛清される結果を招いたのだ。[ 続く ]