「印尼華人の受難(14)」(2025年09月14日)

5月暴動が終わってからジャカルタのイミグレーション当局がパスポート申請の急増を公
表した。5〜6月のパスポート申請数が顕著に増加しており、4万人を超える華人系国民
がその中身であるという情報だ。

パスポートは国有造幣会社が印刷製作していて、毎日5千冊がイミグレーション総局に納
入されている。ところが全国83ヵ所のイミグレーションオフィスで行われている国民へ
のパスポート交付をその数で満たすのは既に無理になっていた。そこにきて、大量の申請
が突発したのである。ジャカルタの6月総申請数は5月の二倍を超えた。5月の交付数1
5,315件は6月に34,302件に膨れ上がった。そして5〜6月の出国者の数もシ
ンガポール・香港・中国向けが大きく増加した。

シンガポールなどの国籍取得手続きをオファーする英語の宣伝広告が、オルバ期に承認さ
れていた唯一の華語新聞ハリアンインドネシアに大きく掲載された。

一方、ジャワ島から国内の安全な地方都市へ避難する華人系国民も少なくなかった。西カ
リマンタンのポンティアナッやシンカワンは人気の高い逃避先になった。5月後半から6
月末までに西カリマンタンにやってきた華人は数万人にのぼり、宿泊施設や借家は大繁盛
で、また空地や売家も飛ぶように売れ、店舗住宅も大幅に家賃が上がったにも関わらずど
んどん新しい借り手がついている。町中に四輪車が増加し、ジャカルタナンバーの車がた
くさん見られるようになった。西カリマンタン以外ではマナドやバリ島が華人の避難先に
選択された。

それらの華人に安全と評価された地方や外国に避難したひとびとのすべてがそこへ移住し
たわけでは決してない。ある期間を過ぎてジャカルタは安全になったという確信を持てた
ひとびとはまたジャカルタに戻った。

わたしはバリ島で2010年から暮らすようになったが、わたしが出会ったバリ島にいる
華人系商店主の中で、5月暴動のためにバリ島に移住したとわたしに物語った人が3人だ
けいた。


それまでソーシャルワークには何の縁もなかったサンティ夫人が5月暴動の被害者救済活
動を始めた市民グループに加わった。ふたりの子供を持つかの女は自分の住んでいる町で
起こった野蛮で不条理な事件が赦せなかったのだ。自分が直接見聞しまた感じたそのでき
ごとを一生忘れないだろうとかの女は語る。サンティはチームの中で、性暴力を蒙ったと
見られる女性たちの精神的なリハビリを手伝うためのアテンダントの仕事に就いた。
「わたしは最初、この仕事は人間が不幸な人間を助けなければならない義務を果たすだけ
の人道的な活動だと思っていました。ところがそこには政治のディメンションがかぶさっ
ていたのです。」

多発した性暴力事件について、5月暴動が終焉したあとインドネシア国内で事実を告発し
ようとする一般市民とそれは作り話だと主張する勢力の応酬が発生した。被害者は世間体
と恥を慮って警察に届け出ようとしない。目撃者や医師の中で公表する勇気を持っている
者には闇電話がかかってきてかれらの意志をくじくことが行われた。社会的に著名な数人
の女性解放運動活動家だけが、闇の中から仕掛けてくる妨害行動を怖れずに華人系プラナ
カン女性をターゲットにした性暴力事件発生の事実を社会に訴えていた。

5月暴動事件ファクトファインディングチームが発表した報告書には、ジャカルタ首都圏
・メダン・スラバヤで52件の性暴力事件の発生が記されている。事件は一様にギャング
レープだった。しかしそれが計画的に行われたものなのか、状況に駆られて突発的に発生
したものなのかはわからないとチームは結論付けた。

国連が派遣した専門家ラディカ・クマラワティの調査報告書の審議が国連で行われたとき、
インドネシア政府は拒否を発動している。[ 続く ]