「女が母になる(1)」(2025年09月18日) ライター: スギヤプラナタ基督教大学保健心理学R&Dメンバー、マルガレタ・シイ・ スティジャ・ウタミ ソース: 2004年12月20日付けコンパス紙 "Haruskah Perempuan Menjadi Ibu" 涙がなくても、そこに悲しみがないわけではない わたしが諦めを口にしたからといって、心に激情がないことにならない 自分の望みを常に実現させてくれるわけでないこの人生を わたしはただ受け入れたいだけだ わたしはあなたに認めてもらいたい 子宮がなくともわたしは依然として女であるということを (子宮のない女、スマラン、2004年5月29日) 上の詩は腫瘍のために子宮を摘出した女性の作品だ。RAカルティ二の時代に作られたも のでないとはいえ、そこに流れている無念さは百年前の女性たちと大差ないもののような 気がする。今日ですらいまだに、女はただ子孫継続の責務を果たすための生き物と見なさ れている。ひとりの女がその責務を果たす能力を失ったとき、かの女はすべてを喪失する ことになる。たとえ生活の他のさまざまな面で成功者になったとしても。 イブ(母)という言葉は女性に与えられた愛すべき名称だ。イブに捧げられた崇敬と賞賛 は世の中にあふれるほどある。われわれのだれもが母に敬意を表するのは当たり前のこと なのだ。なぜなら、すべての人間と他の哺乳動物は母がいるから生まれたのだから。 しかし、すべての女性が母にならなければならないのだろうか?女がこの世にいるのは単 に母になるためだけなのか?それ以外の意味なしに? カレン・グリーンロー・ビエリとミンディ・ビンガムが1994年に著したA Working Curriculum for Gender Rolesと題する書物の中で著者は、「自己アイデンティティの形 成は男と女の間で顕著に異なっている」と述べた。男の場合は社会が自立を訓練し、自分 の人生を自分が望むように決めることを承認する。いかなる帰結になろうともそれを引き 受ける用意があるなら、何を選択しようがかまわない。 女は自己アイデンティティ形成プロセスがはるかに複雑であり、しかもアドバイスに満ち ている。自分に都合の悪いチョイスに直面しなければならないことも稀でなく、さもなけ ればチョイス自体が存在しない。女は自分自身の価値観・目的・確信に従って選択するこ とを訓練されず、自己を取り巻いている周囲との調和を常に要求される。 女の機能は出産とセックスシンボルが必ず筆頭に置かれる。一番ひどいのは、社会の中で 往々にして子供を産んだことのない女が完全でない物のように見なされることだ。たとえ その妻がどんなに夫を愛していても、子供を産むことのできない妻を離婚する男はノーマ ルだとされている。妻との性生活に不満を持っている夫が娼婦を買ったり別の女と遊んで も、世間はそれを当たり前のように考える。[ 続く ]