「再び、接続詞 di mana」(2025年09月18日)

ライター: オボル財団編集者、ヤンワルディ
ソース: 2017年4月15日付けコンパス紙 "Di Mana ke Mana-mana" 

あるとき行われた博士号授与審査会でプロモーターを務めたアントンMムリヨノが博士号
申請者に対してこんな質問を発した。「インドネシア語の中で疑問詞として使われている
di manaという言葉がいつの日かそれとは異なる用法を持つようになることをあなたは検
証できますか?」

今やdi manaはシリアスな論文の中で、従属接続詞や複文の中の関係詞として乱れ飛ぶよ
うな使い方がなされている。興味深いのは、時・目的・原因・ツール等々の、場所を示さ
ない機能まで含んで使われていることだ。規範的なコンテキストにおいてdi manaは通常、
単なる疑問詞として扱われている。接続詞に位置付けられたことがなく、たとえそう解釈
された場合でも少なくとも標準外という位置に置かれた。疑問詞外のdi manaの用法をじ
っくり観察するなら、たとえば次のような:
Dia datang pagi sekali di mana orang-orang masih tertidur.
Dalam masyarakat, di mana kehormatan bergantung pada senioritas ...
往々にして問題にされている従属接続詞あるいは複文構造の階層文の中にそれが出現して
いることがわかる。

本当は、インドネシア語の中にも接続詞としてのdi manaの働きは存在している。ただし
従属接続詞でなくてdi situを伴う等位接続詞なのだ。このことわざを思い出してほしい。
Di mana bumi dipijak, di situ langit dijunjung.


わたしが編集してきたさまざまな文章を見ると、di manaは従属接続詞もしくは構文の中
での関係詞として使われている。わたしの見る限り、そのような用法を使っている筆者た
ちのインドネシア語の知識に弱点があるわけではない。それどころか、言語学博士もいれ
ば言語学=文学の教授までいるのだ。かれらが素人でない証拠として、故意にスペースを
使わない綴りでdimanaと書いている者もある。疑問詞として使う場合だけ、かれらはスペ
ースを入れてdi manaと書いている。

それらのさまざまな文章に使われているdi manaは、場所を示す以外に少なくとも7種類
の用法に分類できる。例えば次のように。
*Jaringan di mana dimobilisasikan... 関係接続詞、yangに置き換え可能
*Konteks kalender pertanian di mana ritual... 方法・ツール、denganに置き換え可
能
*Terjadilah perdebatan panas, di mana Van de Wall mengacu... 原因・理由、karena
に置き換え可能
*Hal ini dapat kita temukan pada hari Minggu di mana umat Kristiani... 時期、
ketikaに置き換え可能
*...curah hujan kian besar di mana para petani menjadi kian khawatir 結果、
sehinggaに置き換え可能
*Tentu saja pendekatannya berciri etnografi di mana penulis berusaha... 繋辞、
yaitu/yakniに置き換え可能

di manaが補完的に加えられているものも中にあり、それを外しても意味の変化も起こら
なければ構文を手直しする必要もないケースが見られる。
*Zaman edan adalah masa di mana semua nilai kehilangan arti... 補完的、削除し
ても文をそのまま使える

上の分析からも、di manaは現在まだ複文の中で使われる接続詞とは言えないようにわた
しには見える。なぜなら実際のところその構造はwhereの影響を受けているだけのもので
あって、場所を示す機能だけでなく時・方法・理由などさまざまな範囲にその干渉が広が
っているからだ。元々の構造は上の分析から分かるように、それぞれの対応語に置き換え
てみれば判断が着く。

このように、規範的な文脈におけるdi manaの現在の位置付けは従来からの疑問詞並びに
等位接続詞の機能のままであり、少しも変化していない。