「女が母になる(終)」(2025年09月20日)

ひとつの面でわれわれは母親たちに公的な社会活動への参加を期待する一方、他の面では
相変わらず家族・家庭が母親の責任下にあることを常識として抱き続けているのである。
その結果、青少年の社会問題は増加し、女性の社会活動業績も良い結果を示さない。なぜ
なら母親たちは二つのテーマに集中力を分散させてしまうからだ。

社会に出ることと家庭内で生きることの選択を女性に自由に行わせる度量をわれわれは持
っているだろうか?その両方を巧みにやりこなせる女性に大きい賞賛を与えるのは妥当な
振舞いだが、そのどちらか一方に重点を置いて、総合点で平均より上にいる女性に対して
同じような評価を与える用意がわれわれにあるだろうか?

そのポイントに関して、インドネシア国民は隣国フィリピンから学ぶことができる。ロザ
リンダ・マルセリンド著「ジェンダー感受性への進出、フィリピン人口開発コミッション
の経験」(1998年)では、ジェンダーセンシティブな国民政策がフィリピンにおける女
性活力化を成功させるひとつの要素として貢献したことを物語っている。

フィリピンの国民政策は国民を個人として扱うポイント(human centered)に重点を置き、
家族中心主義family centeredが持つアプローチ面のハードルを下げてカバー領域を拡大
することを容易にした。

家族が活動ユニットにされている運動においては、女性は常に家族内の構造的な位置付け
からの拘束を受けて家長の影の下に入り、本人のアイデンティティが曖昧になる。自分の
名前が夫の姓に変わり、ものごとの決定権を持つことが困難になり、女性の保健や生殖の
権利、さらに女性活力化などに関することがらが夫の意識に強く影響されることになる。

人間中心的アプローチでは、男であれ女であれ、既婚であれ未婚であれ、子供の有無を問
わず、保健や環境および社会・政治・経済生活においてアクティブに活動するための扱い
がひとりひとりの個人に対して一律になされるのである。

女は母親になるためにのみ生きているのではないということを、男も女も含めてわれわれ
の誰もが考えるようになる日をわたしは期待している。この世に生まれてきた女性のひと
りひとりには、それ以外のチョイスがたくさん存在しているのだ。

さまざまな生殖器官を襲う疾病に見舞われた女性たちが母になる以外のチョイスを選択し
て自分の人生を生きていくことに迷いを抱かず、堂々と誇りを持って生きていける社会を
わたしは望んでいる。

同じ人間として他人に役立つ人間になる人生のほうが、死ぬよりはるかに良いことなのだ。
女性としての自己アイデンティティをしっかり掴んで社会の中で自分の役割を果たすこと
が女性活力化にも貢献することになるのである。[ 完 ]