「アンバラワ鉄道ループ(1)」(2025年09月21日)

植民地時代にスマラン県南部の山岳地帯にあるアンバラワAmbarawaの町はオランダ王国東
インド軍Koninklijk Nederlands Indisch Leger略称KNILの基地を擁する軍事的要衝
になっていた。1834年に大型要塞の建設が始まり、1853年に完成した要塞がヴィ
レム1世の名を冠せられてKNILの本拠のひとつになった。

通常の要塞は防御能力を最大に高めているのに反してこの要塞は窓がたくさん設けられて
おり、また重要な要塞の外部によく見られる防塞や前哨陣地も見当たらないことから、K
NILはこの要塞を兵舎並びに軍需物資貯蔵場所としての機能を主目的にして設けたよう
に思われる。


東インド政庁にとってジャワ島最大の強力な仮想敵であるスラカルタとヨグヤカルタの両
王国に対する軍事上の抑えとして、スマランに向かうスラカルタ〜ボヨラリ〜サラティガ
〜ウ~ガランのルートに多数の要塞や監視ポストが設けられた。アンバラワのヴィレム1
世要塞もその流れの中のひとつではあるものの、各要塞に置かれた地区・地域の防衛部隊
にとっての本部の位置付けがアンバラワ基地に与えられていたようだ。

その軍事ルートにおける迅速な交通は植民地軍が構築した体制を支える重要な意味を持っ
ていたと言えるにちがいあるまい。スマランとソロを結ぶ現在の国道20号線は古くから
重要な街道になっており、大郵便道路を作らせたダンデルス総督がこの道路の整備をも命
じたという記事がイ_ア語ネット内に見つかる。

オランダ東インドで最初の鉄道路線が1867年にスマランからグロボガン県タングン村
まで完成した後、鉄路は1870年にスラカルタまで延ばされ、更にヨグヤカルタには1
872年に到達した。タングンに達した鉄道敷設工事はスラカルタへ向けてそのまま継続
して行われ、その途中にあるグロボガン県のクドゥンジャティKedungjati駅は1867年
のうちに通過している。そのクドゥンジャティからアンバラワに向けて支線が延ばされ、
ラワプニン湖の東北端にあるトゥンタンTuntangを経由して1873年にアンバラワに鉄
道が入った。

そうなれば、アンバラワとヨグヤカルタを結ぶことで鉄道ループができあがる。当時、軍
事演習場として使われていたマグランを経由してヨグヤカルタまでつなげば、植民地軍の
便宜は大いに向上するというわけだ。

ヨグヤカルタ〜マグラン区間が1898年に開通し、続いてマグラン〜スチャンSecang間
を1903年に汽車が走り、スチャンからアンバラワには1905年に鉄路の敷設が完了
して、クドゥンジャティ〜スラカルタ〜ヨグヤカルタ〜マグラン〜アンバラワ〜トゥンタ
ン〜クドゥンジャティという環状路線が完成したのである。スチャンからは更にパラアン
Parakanに向けて支線が1907年に作られた。


ヨグヤカルタからマグランを経てスチャンに至る鉄道路線はサラム〜ムンティラン間がム
ラピ火山の火口から近い場所にあり、火山が噴火すれば溶岩に襲われる可能性が高い。そ
してそれが現実となり、1972年から1974年まで続いたムラピ山の火山活動のため
に列車運行が不可能になって、最終的にインドネシア国鉄は1975年にその路線を閉鎖
することを決定した。

クドゥンジャティからアンバラワを通ってスチャンまで来ていた鉄道路線も、インドネシ
ア共和国にとってはたいした軍事上の意味合いを持っておらず、おまけに路線営業の要だ
ったジョクジャやマグランと切り離されてしまったことから、すぐに採算の問題が浮上し
てきた。鉄道が持っていた運送交通手段としての弱点がここでもその運命を決めることに
なったようだ。

インドネシア国鉄は結局、1976年にクドゥンジャティ〜スチャン間の鉄道運行も閉鎖
せざるをえなくなった。ソロ〜ジョクジャ〜アンバラワ〜クドゥンジャティ〜ソロをつな
ぐループ線路はこうして姿を消したのである。

現在使われているのはスマラン〜クドゥンジャティ〜ソロ〜ジョクジャという路線だけで
あり、インドネシア鉄道史の開始時期に作られた状態に戻ってしまったと言えるだろう。
[ 続く ]