「タンジュンプリオッ(3)」(2025年09月23日)

そのころ、コジャ地区にもZandvoortという海岸行楽地があった。サンツフォルツという
地名は北ホラント州の海岸にある市の名称で、長い砂浜を持つ有名な海岸行楽地だ。多分
バタヴィアの海岸にできた行楽地にオランダ人がその名を冠したのだろう。しかし規模も
まるで違うし、そもそもバタヴィアのサンツフォルツには砂浜がなかった。

インドネシア人はその地名をSampurと発音してそう綴った。今、サンプールという地名は
ジャカルタの地図から消えている。サンプールと呼ばれた土地の地形が変化して昔の姿か
ら変わってしまったのだから、地図から消えてしまったのも無理はない。


チリンチンは傾いたヤシの木と砂浜という自然がもたらすエキゾチシズムと海遊びが売り
物だったが、一方のサンプールは浜辺がなくて堤防になっており、海遊びよりもヨット遊
びや海と船を眺めて気持ちを和ませる場所として利用されていた。サンセットを眺める場
所としての人気も高かった。それでも、海がまだきれいだったから、若者たちが海に入っ
て泳ぐこともよくなされていた。

海面から高さ1.5メートルある堤防は海岸線に沿って7キロも築かれ、行楽客はその堤
防の上を散策した。その辺りは波が比較的穏やかだったから、海の楽しさを味わうことが
容易に行えた。

サンプール海岸には1926年にヨットクラブができ、3月14日に二階建てのモダンな
クラブハウスがオープンした。De Koninklijke Bataviasche Jachtclubといういかめしい
名称のこのクラブは会員制であり、非会員は中に入れなかったそうだ。シニョやノニと呼
ばれるオランダ系プラナカン家庭の子供たちの多くが会員になったが、裕福なプリブミ家
庭の子供も会員になった。

クラブハウスのレストランが美味しい料理を供したので人気を集め、また週末にはハワイ
アンバンドの演奏でダンスパーティーが開かれた。


そこからほど近いところにヨットハーバーが設けられて、クラブは定期的にヨットレース
を開催した。1970年ごろまで、サンプールはジャカルタで最高の権威あるレクレーシ
ョンセンターであり、インドネシアウオータースポーツ連盟がそこに設立された。日曜日
や休日になると千人を超えるジャカルタ都民がサンプール一帯に遊びに来た。

1972年に都庁はクラブハウス建物を歴史遺産に指定していたが、タンジュンプリオッ
港コンテナターミナルの拡張が決まり、コジャ地区がコンテナターミナルに転換されたた
め、建設予定地にあったあらゆるすべてが取り壊され、あるいは移転させられた。コジャ
コンテナターミナルの完成は1992年だ。サンプールは歴史遺産と共にコンテナターミ
ナルの地面の下に隠れてしまったのである。

サンプールを後継する施設として5キロほど西のアンチョルマリーナが指名され、必要な
機能はそちらに移されている。

1930年ごろのサンプール地区を写した航空写真の中に、ヨットハーバーの南側にジェ
ネラルモーターズの工場を見ることができる。1927年5月に米国資本のGM販売会社
であるNV General Motors Java Handel Maatschappijがそこに組み立て工場をオープンし
た。この工場には試運転のためのサーキットが備えられていた。

日本軍の占領によって工場の米国車生産が停止し、日本軍はその工場の生産ラインを使っ
て軍用トラックを作っていた。終戦後GM車両の生産が再開されてから1954年まで稼
働が続けられ、その年に会社清算がなされている。[ 続く ]