「JKT-SUBエクスプレス(終)」(2025年09月30日) 現在インドネシア国鉄が運行させているジャカルタ〜スラバヤ間直行列車は1922年に 形成されたルートが使われている。たとえばジャカルタのガンビル駅とスラバヤのパサル トゥリ駅間720KMを走るエグゼクティブ列車のアルゴアンジャスモロ号は次のような停 車駅になっており、走行時間は9時間半だ。 Gambir - Jetinegara - Bekasi - Cirebon - Tegal - Pekalongan - Semarang Tawang - Cepu - Bojonegoro - Surabaya Pasarturi エコノミー列車の停車駅を示す方がルートが判りやすいだろう。ジャカルタのパサルスネ ン駅とスラバヤのパサルトゥリ駅間719KMを運行するエコノミー列車アイルランガ号は 次のようなルートを12時間23分ほどかけて走る。 Pasar Senen - Jatinegara - Bekasi - Cikarang - Cikampek - Pegaden Baru - Haurgeulis - Jatibarang - Cirebon Prujakan - Babakan - Tanjung - Brebes - Tegal - Pemalang - Pekalongan - Weleri - Semarang Poncol - Ngrombo - Randublatung - Cepu - Bojonegoro - Babat - Lamongan - Surabaya Pasarturi 両ターミナルを含む全停車駅が19に減らされたエコノミープレミアム列車のクルタジャ ヤ号は同じルートを10時間44分で踏破する。エコノミープレミアムというのはエコノ ミー客車にエグゼクティブ客車の要素を加えてより快適な乗り心地にしてある列車だ。 もちろん料金は違っているが、時間的には同じ路線を走るエグゼクティブ列車とそれほど 違わないようにも思える。 オルバ期にイ_ア政府はジャカルタ〜スラバヤ間鉄道輸送のスピードアップを計画し、新 型高馬力時速140KMのディーゼル機関車をINKAに作らせ、6両の客車を引いて既存の線 路上を走らせる構想を1995年にトライした。当時の現状である11時間を9時間に短 縮するのが目標だった。ジャカルタ〜バンドゥン間も同時に進められ、こちらは3時間を 2時間に短縮するのをターゲットにした。 そんなインドネシアにこれは売れると思ったのかどうかよく判らないが、1996年ごろ、 ジャカルタ〜スラバヤ間に超高速鉄道を走らせようという企画をヨーロッパ諸国がインド ネシアに売り込みに来た。フランスのTGVが時速3百KMのオファーを出したら、ドイツ のMaglevが時速4百KMの案をインドネシア政府に売り込んだ。そのあと、イギリス政府が 時速2百KMの案を持ちこみ、三者のそれぞれがインドネシア政府と一緒にフィーシビリテ ィスタディまで行ったようだが、どうやらオルバ政権が崩壊すると共に消滅してしまった ようだ。 スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領の時代に超高速鉄道の話題がまた登場した。2008 年に大統領は国家開発企画庁に検討を命じ、JICAの協力を得て企画庁がフィーシビリティ スタディを行い、ジャカルタ〜スラバヤ線はセミ高速、ジャカルタ〜バンドゥン間は超高 速という案にまとめられた。2011年にそのスタディ結果の検討が行われ、ジャカルタ 〜バンドゥン間超高速鉄道建設の優先方針が決まったものの、費用の膨大さがその進展を 後回しにさせ、次のジョコ・ウィドド大統領に引き継がれたのである。 諸方面からの批判を浴びながら、ジョコウィ大統領は中国をパートナーにしてジャカルタ 〜バンドゥン超高速鉄道を完成させ、2023年10月2日にオープニング式典が挙行さ れた。ジョコウィはかれの政治方針の中でジャカルタ〜バンドゥンプロジェクトを、イン ドネシア国民が最先端技術を学び身に着けそしてその恩恵を体験するためのひとつのプロ セスであると位置付けた。それによって人間の移動が速まり、経済を加速させる効果を期 待するような言葉は社会常識として妥当性を欠く認識というのがそのころのインドネシア の国民感情になっていたように思われる。 Whooshと名付けられたジャカルタ〜バンドゥン超高速鉄道の利用者は2025年上半期で 1日当たり2.4〜2.5万人とオペレータのKCIC社が公表している。KCICはウオッシュ をスラバヤまで延長する計画を持っており、もしもそれが実現すればイ_ア国鉄の出る幕 はもうなくなるかもしれない。[ 完 ]